交通安全コラム
地上最高速の争い(19)―米国人の参入(2)―
- Date:
- 2018/04/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、最高速記録の争いに登場した米国人バンダービルトの出自と経歴を紹介した。
今回は、彼の、ガソリン車で蒸気車を破った記録達成の模様を紹介しよう。
◆メルセデスからモールへ
1902年4月に蒸気車が新記録を樹立した直後、それを破ろうとロスチャイルド男爵と組んで、メルセデス・シンプレックス車で挑戦したドライバーがバンダービルトだったが、メルセデス車では、どうしてもセルポレの蒸気車には勝てなかった。7月に、カテール男爵が、フランス製ガソリン車のモールで蒸気車と同タイムを出したことを知ると、バンダービルトは、モール車で記録に挑戦することにした。
◆新記録達成
8月5日、バンダービルトは、大聖堂で名高いシャルトル近郊の、前回の挑戦が不成功に終わった直線路に、二人の公式計時員を伴ってモース車を持ち込んだ。試走に続いた走行が、1マイル区間48.4秒という好タイムだったので、勇気づけられ本番の1キロ区間の走行を行い、29.4秒のタイムを出した。これは、蒸気車の記録より0.4秒早く、時速76.08マイルの新記録だった。
◆条件は不公平
この新記録に対し、それまでの記録保持者セルポレはかなり不満があり、「バンダービルトの成果を否定はしないし、タイムが間違いだとも主張しない。しかし、ニースでの自分の新記録は、1回しか許されなかった走行で達成したものだ。その上、バンダービルトは計測区間を自分で決めることができた。その1キロ区間に入る前にどの程度の下り勾配があったかを正確に知りたい。だから、彼の29.4秒が私の記録を破ったことにはならない。彼が私と全く同一の条件で走れば、29.4秒という結果にはならなかった筈だ。」とコメントをしている。
◆交通妨害
この年、公道での速度記録の挑戦があまりにも頻繁になったため、一般交通への影響を減らすため、フランス自動車クラブは、新たに、迷惑の少ない走行路を指定することにした。そこは森に囲まれていたので、雨季には湿気が重く澱んで、路面が乾燥するのに時間がかかった。そのため、挑戦者が事前に路面状況を知ることができるような配慮がなされた。同時に、計時を、人間ではなく、機械に切り替えた。
その走行路の走り初めが11月5日に行われ、同じくモール車を駆ったフランス人のアンリ・フルニエ(図)が、またまた僅差で新記録を樹立することになる。
今回は、バンダービルトがガソリン車で蒸気車を破った記録達成の模様を紹介した。
次回は、続くモール車による僅差での記録の更新と、モール社について紹介する。