交通安全コラム
地上最高速の争い(22)―英国人の不屈の挑戦(2)―
- Date:
- 2018/07/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、愛国心旺盛な英国人の登場と、その記録挑戦への第一歩を紹介した。
今回は、彼の二回目の記録挑戦の経緯と、新勢力の出現を紹介する。
◆悪法との戦い
チャールズ・ロールスの初の挑戦は、時速63.1マイルで、電気自動車と同タイム(時速65.79マイル)を記録したバンダービルトにも及ばなかった。そこで彼は、「英国人は私有財産については、自由に行動する権利を持つ」という法の基本精神を拠り所にして、速度制限規則を無視する決心で、ある公爵の荘園の中に1キロ区間の最高速に挑戦できるコースを建設し、そこで2回目の記録挑戦をおこなった。
◆2回目の挑戦
1903年3月7日のこの試みでは、機械工学を学んでいた彼は、モール車の駆動力を増すために後部にデッドウエイトを搭載した。これは、自動車技術のパイオニアとしての優れたアイデアで、彼の工学的天分を示している。
ウエイトが脱落し、タイヤがパンクしたにもかかわらず、彼は、記録を2秒短縮するタイムを叩き出した。1キロの区間タイムは27秒で、時速82.84マイルだった(図1)。彼の速度は記録を破るものであったが、計時方法をフランス自動車クラブが承認していなかったので、公認されなかった。
◆新勢力の出現
フランスのモール車は、ロールスの非公認記録を含めれば、5度世界記録を達成したことになる。しかし、同じフランスで製作された一台の新型車がモールの記録君臨に挑戦することになる。それは、モールの60馬力に対し、110馬力のエンジンを載せたゴブロン・ブリリィ車(図2)である。
1903年7月17日、ベルギー人のアーサー・デユレイが、自国オステンドの新しい道路で、このクルマで、1キロ区間を、その日競い合ったモール車の記録の29秒よりはるかに速い、26.8秒で走り切り、時速83.47マイルの新記録を樹立した。
◆特殊燃料の使用
これは、公認記録を時速6マイル以上と大幅に更新した新記録で、世間の関心と興奮は大きなものだった。このクルマのエンジンは、4気筒に8個のピストンを備え、排気量は13500ccであるが、隣り合う二つのシリンダーで対向ピストンが同じ動きをするので、実質的には巨大な2気筒機関である(図3)。110馬力を出すために、燃料にアルコールを使ったのではないかと推測されているが、もしそうだとしても、当時は、競技規則上問題はなかった。
今回は、祖国に速度記録の名誉をもたらそうと奮闘した英国人の努力を、新興勢力の台頭を交えて解説した。
次回は、フランス自動車クラブの妨害と巨大エンジンのライバルとの、彼の苦闘を紹介する。