交通安全コラム

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第203回 地上最高速の争い(37)―時速100マイルをめぐる争い(2)―

前回は、時速100マイルに肉薄するベルギーの男爵の奮闘とその後の彼の姿を紹介した。
今回は、男爵への報復を企てるゴブロン社と、自動車競技で知名度を高めようとを考えた、ダラック社の動きを紹介する。

◆新規挑戦者
フランス人ルイ・リゴリイは、時速100マイルに先に到達することで、カタール男爵に報復する決意を固めたが、ゴブロン社もクルマの販売を助ける広報的な活動として、それを強力にバックアップすることにした。ゴブロン社は、自分たちが最初に時速100マイルを超えるのを見せる目的で、スピードイベント開催を支援し、例のコースで7月21日に決行することにした。
しかし、ここで予期しない競争相手が現れた。それは、同じフランスで、20世紀に入って乗用車の生産を軌道に乗せ、同じように知名度を高めるために自動車競技を利用することを考えた、ダラック社だった。

◆ダラック社
アレクサンドル・ダラックは、1890年代に自転車販売で成功し、パリで最大の三輪自動車の部品製造工場を擁していた。彼は、電気自動車や星型エンジン付きオートバイに手を出した後、1900年になって、単気筒エンジンを前に置いた廉価な四輪車を700台販売して経営を軌道に乗せた。低価格ジャンルに的を絞り、単気筒、2気筒、4気筒エンジン付きの乗用車(図1)を製造した。それらには、シャフトドライブ、鋼板一体プレス製フレームなど、当時の水準よりはるかに先を行く技術が採用されていた。

図1  ダラック単気筒モデル(1901)

◆100馬力ダラック
ダラック社は、1904年に、その年のゴードン・ベネット杯レースのために3台のレーシングカーの製作を決定した。速度記録挑戦に使われたのは、その一台だった(図2)。それは、当時のグランプリカーの規定に従って車重を1000キロに抑えたオーソドックスな構造で、4気筒11259ccの100馬力のエンジンが搭載され、チエンではなく、シャフトで後輪を駆動する、ダラック社自慢の先進技術が採用されていた。

図2 バラスが速度記録挑戦に使った100馬力ダラック

◆ポール・バラス
時速100マイルへの先駆けを狙うクルマの実力は、ほぼ同格だったので、すべてはドライバーの技量に懸かっていた。ダラック社は、ゴブロン社に挑戦するため、ドライバーとして実績のあるポール・バラス(図3)を採用した。彼は、他の多くの速度記録保持者と同様、レーシングドライバーであり、1899年のパリ―オステンド201マイルのレースで、ド・ディオンの2.5馬力の三輪車を運転して時速32.8マイルで優勝した実績があった。

図3 ダラックで速度記録に挑戦したポール・バラス

今回は、ゴブロン社の男爵への報復の企てと、突如現れた強敵、ダラック社を紹介した。
次回は、バラスとリゴリイの対決と大陸自動車競技への新たな侵略者の出現を紹介する。

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