交通安全コラム

交通安全コラム

第206回 地上最高速の争い(40)―時速100マイルを超える争い(2)―

前回は、合衆国を舞台に、侵略者の英国ネーピア車による新記録達成の苦闘を紹介した。今回は、2台のエンジンを搭載した大馬力車による米国人富豪の反撃を紹介する。

◆120馬力の威力
ボストンの財産家のハーバート・ボウデンの“空飛ぶオランダ人二世”号(図1)は、二つの60馬力メルセデスエンジンを直列に搭載していたので、出力は120馬力であったが、クルマの大きさも2台分に近かった。
ボウデンは、マクドナルドが不安げに見守る中を走行し、タイムを1.6秒短縮した。走行条件が極めて悪いことを考慮すれば、評価すべき成果である。

オーモンド・デイトナ海岸で走行前のハーバート・ボウデンと    

◆新記録でも失格
彼の記録は、時速109.75マイルで、マクドナルドの記録、時速104.65マイルを見劣りのするものにしてしまった。英国からの侵略者は、米国人によって撃退された。
ところが、このボウデンの巨大なメルセデスは失格となってしまった。理由は、車重が、グランプリカーに許された最大の1000キロをはるかに超えて、1200キロを上回っていたからだった。「あのクルマはギヤが1つだけなので、加速に3マイル必要とした」とマクドナルドは述べている。

◆ダラックのリベンジ  
この米国でのマクドナルドとボウデンの新記録は、未承認の計測方法であることを理由に、パリの国際機構が公認しなかった。公認の世界記録は、依然としてフランスのダラック社のポール・バラスによる時速104.52マイルが持ち越されていた。
しかし、実質的に記録を奪われたダラックは、無条件に自社のクルマが最速であることを、はっきりと世界に示そうと決意した。ダラックは、ボウデンが行ったエンジン出力倍増の効果を知って、同じ方針を採用することにした。

◆記録挑戦専用車
しかし、車重の増加を抑えるために、エンジンを二つ載せる代わりに、1904年の記録達成エンジンの4気筒ブロックを二つ合体して1台のV型8気筒エンジンを製作した。出力は、ボウデンの巨大なメルセデスをしのぐ200馬力である。しかも、エンジンの重量増加は最小限で済み、クルマは重量制限内でできたので、車重に対する出力(パワー/ウエイト比)がボウデンのクルマより大きく、これは最高速にも有利である。これは、それまで記録に君臨していた、性能を上げたレーサーとは異なり、速度記録を破るために作られた最初の専用車(図2)だった。

図2 エメリーが速度記録挑戦に使った200馬力ダラック

今回は、米国人富豪の大馬力車と英国ネーピア車との争いとその意外な結果を紹介した。
次回は、フランスのダラック社の軽量・大馬力車による復讐と米国の蒸気エンジン開発者を紹介する。

<前の画面へ戻る

Page Top