交通安全コラム

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第208回 地上最高速の争い(42)―スタンレー兄弟の蒸気自動車(1)―

前回は、フランスのダラック社の軽量・大馬力車による復讐と米国の蒸気エンジン開発者を紹介した。
今回は、当時の蒸気自動車の動向と、スタンレー兄弟のクルマとの出会いを紹介する。

◆半数が蒸気自動車
1900年当時、合衆国では約2000台の自動車が使われていたが、その半数以上が蒸気自動車だった。次に多かったのは電気自動車で、始動が難しく気難しいガソリン自動車は、まだ少数派だった。100以上の蒸気自動車工場があり、1905年までに125の銘柄の蒸気車が販売されていた。

◆蒸気エンジンの長所
当時、蒸気エンジンは次のような長所が認められていた。第一に、燃料には木材、石炭、石油、天然ガス、鯨油、ガソリンなどが使える。第二に、エンジンの構造が簡単で、25個以内の可動部品で作ることができる。第三に、スタート時の回転力が大きく、クラッチが不要。第四に、蒸気エンジンの信頼性は、すでに長い実績があり確認済みである。

◆取扱は奥さんに聞け
スタンレー兄弟は、ガソリン車を買う人の気持ちが理解できなかった。蒸気車の利点は彼らにとっては明白で、蒸気エンジンを採用した判断は極めて常識的なものだった。
買い手に、蒸気自動車の扱い方を習うにはどうすればよいか、と聞かれると、兄弟は「あなたの奥さんが教えてくれますよ。彼女はストーブで湯を沸かすことができるから。クルマもそれと同じですよ。」と答えるのが常だった。

◆軽量設計
スタンレー兄弟は、1898年に、最初の事業として30台のクルマの生産を計画し、車体を一流の馬車製造業者に注文した。しかし、そこの車体では、エンジンやボイラーを納得する配置にできず、結局、車体も自分達で作ることにした。
当時の蒸気車は一般に重かった。兄弟は、重量増加による性能低下を気にして、軽量化のために、エンジンには小さなシリンダーを2個使い、それを4本の軽いフレームに載せた。ボイラーには、外周に何層ものピアノ線を巻きつけて補強することで、薄い鋼板を使って軽量化した。

◆事業の売却
 スタンレー兄弟のクルマは品質と信頼性で評判となり、それを知って、二人の人物が蒸気車の製造権を買取りたいと兄弟に接近してきた。1899年、兄弟はこの話に乗ってしまう。兄弟は、写真乾板特許を売却した前歴もあり、投資家としての一面も持っていて、提示された25万ドルという金額に魅力を感じたものと思われる。製造権を取得した企業家は、ロコモービル会社として蒸気自動車(図)の製造を始める。

ロコモビルの蒸気自動車 

今回は、当時の蒸気自動車の動向と、スタンレー兄弟の製造権の売渡しまでを紹介した。
次回は、兄弟の心変わりによってふたたび製造することになった蒸気車の概要を紹介する。

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