交通安全コラム

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第212回 地上最高速の争い(46)―スタンレー兄弟の蒸気自動車(5)―

前回は、兄弟が支援した同僚の蒸気車の活躍と兄弟の革新的な蒸気車の誕生を紹介した。今回は、兄弟に代わるドライバーとその記録挑戦の次第を紹介する。

◆フレッド・マリオット
ドライバーは、フランシス・スタンレーが夫人に反対されたので、スタンレーの工場に7年勤めたフレッド・マリオットに白羽の矢が立った。マリオットは、それまでもレースにかかわり、強力な200馬力ダラックで時速109.65マイルの世界記録を達成したビクトル・エメリーとも争った経歴があった。エメリーは世界的な名声のあるドライバーだったが、マリオットは無名で、時速100マイルを超える運転の経験もなかった。

◆ライバルたち
 1906年のオーモンド・デイトナ海岸のスピードトライアルには、ヨーロッパからも有名なドライバーやクルマがやってきた。ロケットのライバルは、エメリーの操縦する22.5LのV8エンジンのダラックと、メルセデス、ネーピア、2台の巨大なフィアットなどだった(図1)。

図 1 1906年のオーモンド・デイトナ海岸でのスタンレー・ロケットと 2台のフィアット

 マリオットは、時代を先駆けた外形のスタンレー・ロケットのコックピットに低く着座したが、ライバルのドライバーたちは、身体が露出した高い乗車姿勢だった。さらに、ネーピアを除いて、大きく垂直なラジエーターは、時速100マイルを超えると、途方もない空気抵抗を発生させるものだった。

◆赤い稲妻
1906年1月26日、マリオットは、圧力調整弁を1平方インチ当たり900ポンド(約62気圧)にセットし、クルマを発進させた。ライバルたちの鋭く妬ましげな視線を浴びながら、スタンレー・ロケットは、蒸気の静かなシューという音を残して、驚くべき加速力で速度を高め、1キロの計測区間を赤い稲妻のように音もなく通過した(図2)。

図 2 オーモンド・デイトナ海岸を疾走するスタンレー・ロケット  

記録は、時速121.57マイルという信じがたい速度だった。誰も達成できなかった、2マイルを1分で走破する新記録である。さらに、2時間後、助走後の1マイル記録にも挑戦し、それまでの記録を時速18.01マイルも高める時速127.66マイルの世界記録も樹立した。

◆遅い記録を公認
イベントの計時システムに責任を持つアメリカ自動車協会は、両者の記録を公認したが、例によって、世界のモータースポーツを統制するパリの本部の見解は異なっていた。いろいろ議論が交わされたのち、彼らは、遅い方の1キロ区間の時速121.57マイルだけを公認することに決めた。英国の自動車クラブ(RAC)は、速いほうの1マイル区間の時速127.66マイルを公認したが、権威あるパリの決定のために、それを世界記録とすることはできない。

今回は、兄弟に代わるドライバーとその記録挑戦の次第を紹介した。
次回は、蒸気いじめと、それにめげず、さらに記録を高めるレーサーの改良を紹介する。

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