交通安全コラム
第213回 地上最高速の争い(47)―スタンレー兄弟の蒸気自動車(6)―
- Date:
- 2020/07/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、兄弟に代わるドライバーとその記録挑戦の次第を紹介した。
今回は、蒸気いじめと、それにめげず、さらに記録を高めるレーサーの改良を紹介する。
◆蒸気への偏見
1906年、スタンレーの蒸気レーサーは、フレッド・マリオットの操縦で、助走後の1マイルで、記録を時速18.01マイルも高める時速127.66マイルの新記録を樹立した(図)。この記録は、合衆国と英国の自動車クラブによって公認されたが、世界のモータースポーツを統制するパリの機構は、彼の1キロ区間の時速121.57マイルだけを世界記録として公認した。それでも、マリオットは、2マイルを1分以内で走った世界で初めての男となった。

◆蒸気いじめ
このガソリン対蒸気の争いは、続く最終日のレースで頂点に達した。30マイルのチャンピオンシップレースの開始時間が、スタンレー側に通告なく繰り上げられた。そのため、マリオットはガソリン車より5分以上遅れてスタートするはめになったが、蒸気車はやすやすと優勝してしまった。
最後に「海岸の王」のタイトルを争う1/2マイルのレースが行われた。ここでは、競技規則に合わない200馬力のダラックの出場が認められた。最初にロケットが走行し、続くダラックも2マイル1分のペースである15秒を切った。2度目の走行でダラックがロケットを上回ったところで、オフィシャルはレースの終了を宣言したので、ダラックが勝利者となってしまった。スタンレー側の抗議にもかかわらず、規則で認められている3度目の走行は許されなかった。
◆90気圧ボイラー!
スタンレーチームは、これらのいやがらせにもかかわらず、蒸気自動車がもっと速く走れることを証明して見せようと、レーサーの改良を行った。
ブレーキに改良が施され、エンジンのピストンの行程と弁の開閉タイミングが修正された。しかし、最大の変更は、ボイラー系の強化だった。前年の1906年には、1平方インチ当たり1000ポンド(約70気圧)だった蒸気圧が、1300ポンド(約90気圧)に高められた。2個だったバーナーが4個に増強され、それに応じて燃料系も強化された。そのため、この高い蒸気圧が長時間維持されるようになり、エンジンは増加した大出力を安定して発揮できるようになった。
◆ボイコットされたレース
1907年、スタンレーチームは、記録更新の決意で、性能を高めたレーサーを持って、オーモンド・デイトナ海岸に戻ってきた。しかし、砂浜の状況は悪く、不思議なことに、アメリカのクルマも、ヨーロッパのクルマも、競争相手になるようなものは、ほとんど見当たらなかった。
今回は、蒸気いじめと、それにめげず、さらに記録を高めるレーサーの改良を紹介した。
次回は、新レーサーによる、さらなる記録への挑戦の模様を紹介する。