交通安全コラム

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第217回 地上最高速の争い(51)―スタンレー兄弟の蒸気自動車(10)―

前回は、蒸気車の衰退とその後のスタンレー社の蒸気車での奮闘を紹介した。
今回は、スタンレー社を消滅させた蒸気自動車の欠点を確認する。

◆マウンテンワゴン
 1909年、フリーラン・スタンレーが、肺結核の治療で過ごしたことのあるコロラド州の避暑地に豪華なホテルを開業した。そこで、鉄道の終点からホテルまでの30マイルを、客と荷物を運ぶ大きなクルマが必要になった。この登坂には、スタンレーの蒸気車は、内燃機関のクルマよりはるかに優れていたが、十分な人数と荷物を載せることはできなかった。兄弟は、9人乗りのマウンテンワゴンを造りコロラドへ出荷した。それが成功だったため、国中のリゾートホテルから注文が殺到した。1912年には、標準のマウンテンワゴンに座席を1列追加し、さらに5列にして16人乗りも何台か製造した。1916年に製造を中止するまでに、約300台のマウンテンワゴンが作られた。

◆自動車史の転向点
スタンレー社の業績は良かったが、競技からの撤退で、蒸気エンジンの技術開発は、ほぼ終わっていた。これが自動車の歴史の転向点になった、と考える人もいる。もし、競技を続けていたら、蒸気エンジンの改良が続けられ、現在でも使える蒸気自動車に熟成されて普及し、排気ガス公害は起こらなかっただろう、と書いてある文献もある。しかし、すべての蒸気エンジンの二つの致命的な欠点を考えると、それは有り得ないことだ。

◆走行距離わずか50マイル
  スタンレーの“紳士のスピーディーロードスター” (図)は時速75マイルの高速で走ることができたが、水の消費が激しく、一回の給水でわずか50マイル(約80キロ)しか走行できなかった。これが第一の欠点である。
 頻繁な水補給停車を避けるため、使用済み蒸気を大気中に放出せず、冷却して再利用するコンデンサーが1915年モデルで採用された。しかし、使用済み蒸気中に混入する潤滑油がボイラーの一部を過熱させて寿命を縮め、車両重量も増加して性能が低下した。

◆コールドスタート時間
他の一つの欠点は起動時間である。走るのに十分な程度まで蒸気圧が高まるには、10~15分必要だった。ガソリン自動車が、1912年から、前へ回って腕でクランクを廻すことなく、運転席に座ったままで、セルフスターターによってエンジンの始動が可能になると、このコールドスタートの不便さは、極めて大きく感じられるようになった。このため、1915年頃には、蒸気エンジンは過去のもので、ガソリンエンジンこそが未来のパワープラントである、と大多数の人が考えるようになった。

スタンレーの<strong>紳士のスピーディーロードスター</strong>(図)

今回は、スタンレー社を消滅させた蒸気自動車の欠点を確認した。
次回は、蒸気車の消滅と、後に大富豪となるカーチスのオートバイによる快挙を紹介する。

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