交通安全コラム

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第219回 地上最高速の争い(53)―メルセデスの誕生―

前回は、蒸気車の消滅と、後に大富豪となるカーチスのオートバイによる快挙を紹介した。
今回は、ベンツ社の挑戦の背景となるダイムラー社の動向、メルセデスの誕生を紹介する。

◆ドイツ生れ
ドイツのカール・ベンツとゴットリーブ・ダイムラーが、1886年に、実用に耐えるクルマをそれぞれ完成して自動車は誕生した。しかし、その後、新しい技術に偏見が少なく、経済活動が盛んで、道路の整備も進んでいたフランスで、自動車は発展した。初期の自動車競技イベントや速度記録達成の舞台も、フランスが多かったことはこれを裏付けている。
ベンツ社もダイムラー社も製品の多くをフランスに輸出し、特に、ダイムラー社はエンジンを多数供給した。
◆フランス育ち
そのため、1894年のパリ―ルアンのトライアル走行では、上位は、ダイムラーのエンジンを搭載したクルマによって占められていたが、完成車の販売では、ダイムラー社はベンツ社に大きく引き離されていた。
当初、フランス車はドイツの技術の影響を受けていたが、次第に独自の設計を行うようになり、競技でも好成績を続けていた。その結果、フランス製自動車の販売が、本家ドイツ製を脅かすようになった。
◆メルセデスの誕生
 この劣勢を挽回することを考えたのは、オーストリア人で、ダイムラーの南フランス代理店経営者のエミール・イエリネクだった。彼は、レースに勝つことが販売促進の効果的な方法と考え、常勝のフランス車を打ち負かすことができるクルマの製作を提案した。これを受けてダイムラー社のマイバッハが1900年に製作したクルマは、イエリネクの娘(図1)の名前を取って「メルセデス」と命名された。

図1

◆プレス鋼板フレーム
このメルセデスは、エンジンで、それまで負圧で自動的に開閉していた吸入弁を、カムで駆動することによって出力を35馬力と大幅に向上し、軽合金クランクケースを採用して、それまでのエンジンに対して、出力当たりの重量を半減した。また、当時開発されたばかりの、厚板鋼板のプレス技術を利用する鋼板製梯子形フレームを採用し、それまでのクルマに見られた馬車や自転車の影響から脱皮する新しい自動車の姿を形づくるものとなった(図2)。

図2

今回は、完成車の販売でベンツ社に後れを取っていたダイムラー社のメルセデスの誕生を紹介した。
次回は、メルセデスの活躍と、それに対抗して奮起するベンツ社の努力を紹介する。

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