交通安全コラム

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第220回 地上最高速の争い(54)―ベンツ社の挑戦(1)―

前回は、ベンツ社の挑戦の背景となるダイムラー社のメルセデスの誕生を紹介した。
今回は、後れを取ったベンツ社が決断した巨大なレーシングカーの開発を紹介する。

◆メルセデスの成功
 ダイムラー社のメルセデスは、1901年のニースでの競技イベントで好成績を挙げ、関係者に強い印象を与えた。その後、争いが激化すると、出力を60馬力に増強して、1903年には、ゴードン・ベネット杯レースで、フランス、英国、米国のチームを破って、国際的な地位を獲得した。この間に、非公認ではあるが、メルセデスは、バンダービルトの操縦で3回にわたり速度の世界記録を樹立している。

◆ベンツ社の衰退
メルセデス車は、世界中の自動車の設計に大きな影響を与え、多くのメーカーが、その技術と形態を取り入れた。しかし、ベンツ社は、自社のクルマに与えられた実用性と信頼性の名声に安住していた。その結果、1900年までは世界最大のメーカーだったベンツ社の売り上げは、その年の603台を頂点に減少していった。それまで、ベンツ社の1/10ほどに過ぎなかったダイムラー社の販売台数は、正確な数値は明らかではないが、この好成績で逆転したと考えられている。

◆レースへの投資の決断
 ダイムラー社が、モータースポーツでの成功は宣伝効果があることを示しても、ベンツ社は、それに積極的に追従することに躊躇していた。しかし、その後、時流に逆らえずに開発した150馬力のレーシングカーが、極悪道路のセントピータースブルグ―モスクワのレースで優勝し、1908年のフランスグランプリでは、優勝はメルセデスに奪われたものの、2位、3位を占めたことに勇気づけられ、ベンツ社は、レース車製作にさらに多くの資源を投入する決断をした。

◆排気量21.5リットル
1909年の初めに、ベンツ社の役員会は、当時壁と見なされていた時速200キロを確実に超えるクルマの開発を指示した。しかし、手持ちのレーシングカーの150馬力エンジンでは、その目的を達成するには不十分であることは明らかだった。技術者たちは、そのギャップを埋めるために最も確実な方法として、その排気量を大幅に拡大し、21.5Lのエンジンに仕立てた。当初このエンジンは、毎分1500回転で184馬力だったが、さまざまな対策により、毎分1600回転で200馬力に強化された。

◆巨大なレーシングカー
 車体は、元のレーシングカーのものが利用され、特大の4気筒エンジンを覆うカバーは流線型化された(図)。会社は、この巨大なレーシングカーは、必ず世界を制覇するものと期待していた。

図1

今回は、後れを取ったベンツ社が決断した巨大なレーシングカーの開発を紹介した。
次回は、200馬力ベンツのデビューと、舞台となったブルックランズサーキットを紹介する。

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