交通安全コラム

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第221回 地上最高速の争い(55)―ベンツ社の挑戦(2)―

前回は、後れを取ったベンツ社が決断した巨大なレーシングカーの開発を紹介した。
今回は、初戦で明らかになったその弱点と、性能を発揮できる舞台での成果を紹介する。

◆カーブで遅い
ベンツ社は、この巨大なレーシングカー、200馬力ベンツは必ず世界を制覇するものと期待していた。しかし、1909年10月、セントピータースブルグ―モスクワのレースの勝利者ビクトル・エメリーをドライバーとしたブラッセル近郊での世界スピードチャンピオンシップで、直線では時速100マイルに達したにもかかわらず、カーブでは時速75マイル以上の速度は出せなかった。そこで、ベンツ社は、その持てる高速性能を発揮できる適当な舞台を探すことになった。
◆ブルックランズ 
そこで候補に挙がったのが、大英帝国が自動車での名声を高めるために、英国のドライバーが本国で高速走行の体験を積めるようにと計画され、1907年6月にオープンして間もないブルックランズレースサーキットだった(図1、2)。これは、サリー州に建設された全長3.25マイルの世界初のレース専用トラックで、その後、インディアナポリス、デイトナも含めて世界の大部分のレーストラックが、このブルックランズの設計を参考にして建設されることになる。

図1
図2

◆白い車体に黒い鷲
ベンツのワークスチームは、1909年11月にこのブルックランズへ到着した。このドイツ車の英国侵略は、速度記録挑戦のために英国人ドライバーが海峡を渡ることを余儀なくされていた、それ迄の事情を逆転するものとなった。
そこでは、ドイツ帝国のシンボルである黒い鷲が描かれた白い車体に、上端が鷲の嘴のような形状のラジエーターを持つ、エメリー操縦の200馬力のベンツが興奮を巻き起こした。
◆公認記録の樹立
エメリーは、初めは、そのクルマの優れた加速性能を誇示するため、スタンディングスタートの記録にこだわり、即座に1キロと1マイルで新記録を打ち立てた。続いて本来の目的である助走後の記録、フライングスタートに取り組んだ。11月8日、彼は、ついに、マリオットが蒸気車で達成したフライングスタート1キロの記録を3年10カ月ぶりに破る、時速125.95マイルの新記録を達成した。マリオットの速いほうの1マイルの記録(時速127.66マイル)が公認されていなかったので、エメリーのこの記録はパリの国際機構によって公認された。

今回は、200馬力ベンツの初戦で明らかになった弱点と、性能を発揮できる舞台での成果を紹介した。
次回は、蒸気車の非公認記録を破るため、有利な合衆国での挑戦の準備を紹介する。

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