交通安全コラム

交通安全コラム

第223回 地上最高速の争い(57)―ベンツ社の挑戦(4)―

前回は、蒸気車の非公認記録を破るため、有利な合衆国での挑戦の準備を紹介した。
今回は、フロリダ州オーモンド・デイトナ海岸での記録挑戦の首尾をお伝えする。

◆バーニー・オールドフィールド
レーシングドライバーに転身したバーニー・オールドフィールドは、多くの競技で好成績を収め、18週で20のレースをこなし、16勝を挙げた年もあった。さらに、ブロードウエーのミュージカルや映画に出演し、ショーマンとしても人気を博していた。当時、警官がレーシングドライバーを見ると、「気分はどうだね―バーニー・オールドフィールド」と間違えて声を掛けるほど有名になっていた。

◆一方向走行
期待されたオールドフィールドは、1910年3月16日、初めての記録挑戦に特別な準備もせずにフロリダの海岸に現れ、ライトニングベンツを駆って、フライングスタート1マイルで時速131.724マイルの記録を達成し、23日には、1キロで時速131.275マイルを記録した(図1)。これらの記録は合衆国では公認された。
しかし、パリの国際機構は、一方向のみの走行を公式記録としては認めなかった。したがって、エメリーの記録、時速125.95マイルは、オールドフィールドによって破られはしたが、依然として、公認の最高記録として維持されていた。

図1

◆ブリッツエンベンツ
 オールドフィールドとベンツとの協力関係は短かった。その理由は、彼が非公認のイベントで競技をした罰として、レース出場停止になったからだった。しかし、イベントマネージャーのエミー・モロスはへこたれず、ライトニングベンツのために一連のイベントを開催したが、その名前は、間もなく輝きを失ってしまった。この気短なオーナーは、験を担ぎ、クルマの生まれをさらに強調するために、名称をドイツ語訳の“ブリッツエンベンツ”と改名した(図2)。さらに、モロスは、同じ砂浜で、彼のベンツをオールドフィールドより速く走らせることができる男を見つけ出した。

図2

◆ボブ・バーマン
それは、評判を高めていたアメリカ人ドライバーのボブ・バーマンだった(図3)。彼は、自動車会社で働いていた17歳の時、草レースの5マイル競技で優勝し、1906年には、雇い主から貸与されたクルマで、デトロイトでの50マイルレースで優勝している。さらに、セントルイスの24時間レースでは、22時間30分を彼が運転し、ライバルに82マイルの差を付けて優勝している。それ以降も、彼は、多くのレースで記録的な勝利を収めていた。

図3

今回は、フロリダ州オーモンド・デイトナ海岸での記録挑戦の首尾をお伝えした。
次回は、バーマンの大健闘と、イタリアからのフィアットの挑戦を紹介する。

<前の画面へ戻る

Page Top