交通安全コラム
第224回 地上最高速の争い(58)―ベンツ社の挑戦(5)―
- Date:
- 2021/01/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、フロリダ州オーモンド・デイトナ海岸での記録挑戦の首尾をお伝えした。
今回は、米国人ドライバーによる再挑戦とイタリアからの挑戦者の出現を紹介する。
◆大幅な記録更新
モロスに見込まれたボブ・バーマンは、はたせるかな、オーモンド・デイトナ海岸で、ブリッツエンベンツをオールドフィールドより速く走らせた。1911年4月23日の彼の27回目の誕生日に、バーマンはフライングスタート1マイルで時速141.37マイルを記録し、同時に、時速140.87マイルの1キロの記録も達成した。オールドフィールドの記録を時速10マイルも上回る好タイムだった。
◆合衆国の英雄
しかし、これらは、またもや一方向走行だった。当然、国際機構からは承認されなかった。それでも、合衆国ではバーマンは国家的な英雄として扱われ、1911年のインディアナポリス500マイルレーススタート前のセレモニーで、タイヤ会社のハービー・ファイヤーストンによって、世界のスピード王として、晴れて10000ドルの王冠が与えられた。バーマンは、のちに、この新しい肩書で、米国各地のサーキットで多くのコースレコードを破ることになる。
◆イタリアの挑戦
この頃、イタリアが、ドイツ車によって二つの大陸で作られた名声に挑戦する決心を固めていた。トリノのフィアット工場から、ブリッツエンベンツから速度記録を奪い取る巨大なクルマが設計されている、という噂が出回った。大ベンツに対するイタリアの武器は、300馬力のエンジンを載せたスーパーフィアットであることが明らかになった。
◆スーパーフィアット
このTipo S76フィアットは、内径×ストロークが190×250mmという巨大なシリンダーからなる4気筒で排気量28,362ccの飛行船用エンジンを、比較的小さい車体に押し込めたものだった。外観こそ流線形化されてはいたが、重心が異常に高くトップヘビーで、ラジエーター位置も高いので、冷却水を補給するためには、メカニックがフレームによじ登らなければならなかった(図)。
◆トリノの野獣
切り落とされた排気管から炎と煙を1mも噴出し、多数の雷鳴を集めたような轟を上げるその巨体は、“トリノの野獣”と呼ばれた。フィアットのレーシングドライバーが何人も、この野獣を調教しようとした。しかし、トップドライバーの感想は「フィアットは、何をしたいかのかわっていない」という、手厳しいもので、扱いの難しいクルマであったことが読み取れる。
今回は、米国人ドライバーでの再挑戦とフィアットの “トリノの野獣”の概要を紹介した。
次回は、フィアットのベンツへの挑戦の経過を報告する。