交通安全コラム

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第227回 地上最高速の争い(61)―ホワイトエレファント(3)―

前回は、皇太子に代わる記録保持者デューレイの英国とベルギーでの挑戦を紹介した。
今回は、フィアットTipo S76の問題点、ベンツよる記録更新、大戦の勃発を紹介する。

◆高速走行困難
「クルマはスロットラジエーターに改造して(図1)時速145~150マイルで走れたが、1キロの計測区間の終わりでエンジンをカットすると、ハンドルがとられてクルマは進路から逸れる傾向があり、残りのコースが1500mしかないので、減速には距離が足らず、高速では止まることはまったく不可能だ」とデューレイは語っている。

図1

◆皇太子の災難
「エンジンをカットすると、排気管からオイルが吹き出して、同乗のメカニック、その時は、たまたま運悪く皇太子だったが、その顔が白から真っ黒に変わってしまったことがあった。1、2、3速ギヤーでは問題ないが、時速120マイルでトップギヤーに入れると一変する。ハンドルを確り握って、歩道に乗り上げないようにする注意が必要で、気化器の息付きによる衝撃的な加速で、背骨が硬いシートに当たって痛み、路面のごく小さな凹凸でもクルマが宙に浮くので、飛行機のパイロット時代を思い出した。」

◆遠ざかるベンツの後姿
計測のための電線の敷設などの準備に時間を取られて、デューレイは記録公認に必要な往復の走行をする余裕がなかった。悪天候が続き、6週間も待ったが、好天はわずか2日しかなく、ベンツの記録への挑戦を諦めざるを得なかった。
その後の1914年6月24日に、またもやブリッツエンベンツが、ブルックランズで、英国人L. G. ホーンステッド(図2)の運転で、フライング1マイルを、往路が時速128.16マイル、復路が120.28マイルで、平均時速124.10マイルを記録してしまった。

図2

◆第一次大戦勃発
これらの記録は、風の影響がいかに大きいかを如実に物語っている。
これは、3年前のバーマンの速度より遅いが、新しい競技規則に適合する双方向走行の初めての記録として公認された。速度世界記録の新しい幕開けである。
その後、第一次大戦の勃発で、速度記録のバトルは休止状態になったので、これは大戦前の最後の公認記録となった。
当時とてしては桁はずれの巨体、Tipo S76フィアットは、速度記録を達成してベンツを打ち負かすという使命を全うすることができず、トリノ工場へ送り返された。

今回は、フィアットTipo S76の問題点、ベンツよる記録更新、大戦の勃発を紹介した。
次回は、その後のTipo S76と、第一次大戦後口火を切った米国の記録挑戦を紹介する。

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