交通安全コラム

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第232回 地上最高速の争い(66)―英国からの挑戦(1)―

前回は、マーフィーに対するミルトンの復権と当時の米国自動車産業の状況を紹介した。
今回は、英国のサンビーム社が開発した車両と設計者、記録挑戦までの経過を報告する。

◆サンビーム社
話を本筋に戻そう。第一次大戦の混乱が収まると、英国のサンビーム社から、合衆国の台頭を阻止するための新しいクルマが登場する。開発は主任設計者のルイス・ハーブ・コータレンが担当した。
彼は1879年英国に生まれ、工学を勉強するためにフランスに留学し、ド・ディオン・ブートン社やパナール・ルバソール社で自動車の生産に従事している。その後、帰国してサンビーム社に入り、役員として大戦中は航空用エンジンを設計していた。

◆失敗作を高出力へ
 新しい挑戦車には、彼が設計した航空用“マニトウ”エンジンを改造したV型12気筒の通称350馬力エンジンが搭載された。そのベースとなったマニトウは量産されなかった失敗作であった。しかし、コータレンは、2カムシャフト4バルブを1カムシャフト3バルブに変更し、バルブ径を増やすためシリンダー径を拡大し、ストロークも修正して排気量を18.322Lとし、マニトウの325馬力から355馬力へと、高出力化に成功した。車両重量が1550kg に抑えられたので、パワー/重量比はこれまでにない高いものとなった。

◆潜在力を示す
この“350馬力サンビーム”(図1)は、1920年にブルックランズで初走行したが、高出力の負担からか、タイヤのトレッド(接地面)の剥離に悩まされた。ついには、タイヤがバーストとして、直線部で垣根を貫くクラッシュをしたが、その後、フランスのガイヨンのヒルクライムで最速タイムを記録して、実力の片鱗を示した。

図1

 このクルマは、翌1921年には、ケネルム・リー・ギネスの操縦で、大戦で打ち落としたツェッペリン飛行船のエンジンをメルセデスの車体に搭載した、ズボルウスキ伯爵の有名なレーシングカー、ファンタジー・ミュージカル映画のモデルとなった“チティ・バン・バン”号(図2)を打ち破り、その潜在力への期待を高めた。

図2

◆記録挑戦
1922年5月、ブルックランズサーキットで、このクルマをギネスが操縦して、フライング1/2マイルで時速144マイルを記録した。この速度は公式の計時ではなかったが、350馬力サンビームが世界記録を奪う力を持つことの確証となった。コータレンは、即座に記録に挑戦することを決定した。
しかし、翌日1922年5月17日、ギネスは、強風が収まるのを終日待たなければならなかった。彼は、完全主義者で努力家でもあったので、その待ち時間を、計画を何度も繰り返し事細かにチェックすることに使った。

今回は、英国のサンビーム社が開発した車両と設計者、記録挑戦までの経過を報告した。
次回は、英国車初の記録を達成したギネスの挑戦と彼の経歴、次なる挑戦者を紹介する。

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