交通安全コラム

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第233回 地上最高速の争い(67)―英国からの挑戦(2)―

前回は、英国のサンビーム社が開発した車両と設計者、記録挑戦までの経過を報告した。
今回は、英国車初の記録を達成したギネスの挑戦と彼の経歴、次なる挑戦者を紹介する。

◆驚異的な加速
強風は収まらなかったが、ギネスは計画実行を決断した。精神を集中して、一日中で貯め込んだ緊張を開放するかのような驚異的な加速を行った。逆回りで追い風に助けられ、フライング1/2マイルで時速140.51マイルを記録した。これは短距離の一方向なので、パリの国際機構(AIACR)が公認することはなかったが、ブルックランズのトラックレコードとして長年維持されることになる。続いて、向かい風となる順方向に走行した。双方向平均速度は、フライング1キロで時速133.75マイル、1マイルで時速129.17マイルだった。

◆英国車初の世界記録
合衆国でド・パーマとミルトンが達成した速度は、いずれも一方向だったので、世界記録として公認されていなかった。AIACRに世界記録として認められていたのは、大戦前の1914年に、ホーンステッドが同じブルックランズで記録したフライング1マイルでの時速124.10マイルだった。ホーンステッドの記録をはるかに超える、このギネスのフライング1キロの時速133.75マイルは公認された。この世界記録は、英国車が獲得した最初のものであるが、ブルックランズで達成された最後のものとなる。

◆醸造家系
ドライバーのケネルム・リー・ギネス(図)は、1887年、“ギネス”で有名な醸造業の家系に生まれている。ケンブリッジ大学在学中に、長男の同乗メカニックとなり、モーターレーシングに興味を募らせ、1907年のマン島のレースにダラックで出場した。車軸の故障でリタイヤーしているが、その縁でサンビーム・タルボ・ダラック-グループとかかわり、1913年にサンビーム社の正規ドライバーとなって、世界記録に名を残すことになった。

図1

◆虎視眈眈
 この350馬力サンビームの活躍を、虎視眈眈と見守っていたのは、英国人レーシングドライバーのキャプテン・マルコム・キャンベルだった。彼は、以前から速度記録に挑戦することを考えており、このサンビーム社の傑作車を何としても自分のものにして、ギネスより速く走って、英国の覇権を確かなものにする決意を固めた。

◆ダイヤモンド商の息子
キャンベルは、1885年にスコットランドのダイヤモンド商の一人息子として生まれた。ダイヤモンドの売買を学ぶためドイツに行かされるが、そこで、彼は自転車とオートバイの競技に興味を持つようになる。帰国後、保険のロイズ社で働くが、オートバイレースに熱中し、ロンドン―エジンバラ耐久レースに3年連続で優勝し、1910年に自動車でレースを始めている。

今回は、英国車初の記録を達成したギネスの挑戦と彼の経歴、次なる挑戦者を紹介した。
次回は、キャンベルのサンビーム350馬力車購入失敗から記録挑戦までの経過を紹介する。

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