交通安全コラム

交通安全コラム

第238回 地上最高速の争い(72)―英国からの挑戦(7)―

前回は、再挑戦を前にして、ライバルの敵意と発生した深刻なクルマの故障を報告した。
今回は、メカニックの奮闘で可能になった再挑戦の経過と、キャンベルの落胆を紹介する。

◆メカニックの奮闘
ライバルたちは、脱落してしまったショックアブソーバーの車体側の新しいブラケットの取り付けが、どんなに困難なことかを知っていたので、この英国の挑戦者は、当然、競技を棄権するものと考えた。しかし、英国のメカニックたちは、時間との競争で奮迅の働きをして、スタート1時間前には走行を可能にした(図1)。

図1

◆全てが好転
 1923年6月23日、キャンベルは、競技のスタート地点にクルマを走らせながら、今度は別の故障が起こるのではないかと心配した。しかし、それまでとは逆に、すべてがうまくいった(図2)。彼は、双方向走行の平均で、その時のギネスの公認記録を上回る時速137.72マイルを達成し、ドイツをはじめ、その他の海外の競技者を打ち負かした。サンビームはキャンベルの信頼をつなぎ留めた。

図2

◆勝者を喝采
 ついに宿願を果たしたキャンベルは、彼の勝利を祝うパーティーで寛ぎ、「故障の続出で、サンビームがファーノ島で競技ができるとは思わなかった。英国のために、ヨーロッパの優れたクルマに勝つことができて嬉しい」と挨拶した。列席者の大半は英語が母国語ではなかったので、このスピーチを十分には理解できなかったのか、彼らは勝者に喝采した。

◆再度の挫折
ところが、キャンベルは、帰国直後、国際機構(AIACR)が記録に公認を与えることを、ふたたび拒否したことを知らされ、激しい衝撃を受けた。走行は、デンマーク王立自動車クラブによって公式に計時されていたが、使用した計測機器がAIACRによって公認されていなかった。自動車クラブの懸命な抗議にもかかわらず、AIACRはその決定を覆さなかった。そこで彼は、断固、自分が正しいことを証明するために再挑戦することを決心した。

◆度重なる挫折
キャンベルは、ギネスの速度を打ち負かす挑戦を、今度は、英国で行うことにした。1924年6月21日、ヨークシャー自動車クラブがソルトバーンで催したスピードトライアルで、キャンベルは時速145.26マイルを達成し、再びギネスの記録を上回った。しかし、電気計測装置に付けられた絹のテープが機能しなかったので、速度は、手持ちのストップウォッチだけで測られたものとなり、国際機構が公式に認めることはなかった。

今回は、メカニックの奮闘で可能になった再挑戦の経過と、キャンベルの落胆を紹介した。
次回は、キャンベルの前に現れた3人の強力なライバルのうちの一人の経歴を紹介する。

<前の画面へ戻る

Page Top