交通安全コラム

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第239回 地上最高速の争い(73)―三つ巴の争い(1)―

前回は、メカニックの奮闘で可能になった再挑戦の経過と、キャンベルの落胆を紹介した。
今回は、キャンベルの前に現れた3人の強力なライバルのうちの一人の経歴を紹介する。

◆ライバルの出現
3度にわたる挫折は、かえって、キャンベルの再挑戦への決心を一層強いものにした。ところが、この彼の決意に対し、2人の英国人と1人のフランス人が戦を挑んできた。英国人は、すでにソルトバーンでキャンベルに敗れたアーネスト・エルドレッジとパリー・トーマスで、フランス人はルネ・トーマだった。

◆レースに身を捧げる技術者
レースに情熱を燃やす優れた英国人設計技術者トーマス(図1)は、1884年に生まれ、世界記録を2回樹立することになるが、その直後の1927年に悲劇的な死を迎えることになる。彼はエンジニアリングに魅せられ、ロンドンの大学で電気工学を学び、1908年には電気式無段変速機を開発し、それはバスや電車で広く使用される。その後、彼はレイランド自動車会社のチーフエンジニアとなり、市場でロールス・ロイスに挑戦する高級車“レイランド8(エイト) ”(図2)を設計する。

図1
図2

◆優れた創造性
彼は、真空倍力式ブレーキや、ねじり棒バネを使ったスプリングのような数々の新しいアイデアをクルマに導入した。劇場に居ても、アイデアを思いつくと計算尺を取り出してすぐ計算を始めるのが常で、落ち着いて観劇できるのは、彼の次のアイデアが出るまでの短い時間だけだった、と伝えられている。
ブルックランズに住んでいたので、レーシングカーが彼の生活のパートナーだった。

◆研究熱心
 トーマスは、レースを自動車技術の研究に利用していた。当時、ドライバーを悩ませていたタイヤの寿命が短いという問題を解決する手掛りを得ようと、タイヤがバーストするまでどのくらい長く走れるかを調べるため、自分のレイランドでブルックランズのトラックを周回した。また、雨が降れば、その冷却効果でタイヤの寿命は長くなる筈だと考え、それを確認するため、豪雨の中で発進から時速100キロまでの加速を繰り返した。彼は、雨の中でスキッドの危険を冒しても、新しい知識を得ることができれば十分に報われると考えていた。

今回は、新たに現れた3人の強力なライバルのうち、パリー・トーマスの経歴を紹介した。
次回からは、残りのライバルを紹介し、彼らの激しい記録争いをみていこう。

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