交通安全コラム

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第240回 地上最高速の争い(74)―三つ巴の争い(2)―

前回は、キャンベルの前に現れた3人の強力なライバルのうちの一人の経歴を紹介した。
今回からは、残りのライバルを紹介し、彼らの激しい記録争いをみていこう。

◆トーマスの退職
パリー・トーマスは、レースへの思いが募り、レイランド社で役員の地位が約束されていたにもかかわらず、プロのレーシングドライバーになるために退職してしまう。しかし、会社は好意的で、彼に数台の車体と多量のスペアパーツを与えた。彼は、レイランド8(エイト)車をベースに大幅な改良を施し、“レイランド-トーマス”号を開発した(図1)。

図1

◆トーマスの挫折
トーマスは、1924年6月26日にブルックランズで記録に挑戦し、フライング1マイルでは、ギネスの記録よりわずかに速い時速129.73マイルを達成した。しかし、世界記録は、ギネスのフライング1キロの時速133.75マイルだったので、新記録樹立の夢は叶わなかった。

◆残る二人の挑戦
ルネ・トーマとアーネスト・エルドレッジの挑戦の舞台は、直後の7月6日にフランス自動車クラブが主催する、パリ近郊アルパジョンの公道で行われたスピードイベントだった。これには、当時の自動車雑誌に興味深いレポートがあるので、しばらくは、それを拾い読みしてみよう。

◆仏-英ドライバーの対決
「日曜日の最大の呼び物は、トーマの操縦する12気筒のドラージュと、エルドレッジがブルックランズから運び込んだ名高い300馬力フィアットの決闘だった。フランスの人々は、これを格別の興味を持って心待ちにしていた。そのドラージュは、これまでフライング1キロに挑戦したことがなく、フィアットに至っては、初登場のクルマだったからだ。」

◆なめらかだが狭い直線路
「会場は、パリから20マイルとかなりの距離があったが、大観衆が押し寄せていた。劇的なバトルを期待して集まった人々の願いは叶えられることになる。全長4.5マイルのコースは完全に直線で、路面は世界のいかなるレーストラックよりもなめらかだった。しかし、公道なので時速120マイルを超える速度に対してはあまりにも狭かったが、路肩の平らな広い草地がそれを補っていた。」

◆安定のドラージュ
「ドラージュとフィアットの走行は、際立って対照的だった。最初にトーマが走って、大歓声の中で時速142.5マイルを出した(図2)。彼のドラージュは、路面に張り付いたような安定した走りぶりだった。復路の走行で、計測区間の出口寸前で一本のタイヤの接地面からゴムの一部が剥がれ落ちたが、クルマは動揺のそぶりさえも示さなかった。」

図2

今回は、トーマスの挫折と残る英仏二人のドライバーの対決の舞台と経過を紹介した。
次回は、ドラージュ社と二人のドライバーの経歴と車両を紹介する。

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