交通安全コラム

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第241回 地上最高速の争い(75)―三つ巴の争い(3)―

前回は、トーマスの挫折と残る英仏二人のドライバーの対決の舞台と経過を紹介した。
今回は、対決の経過に続いてドラージュ社と二人のドライバーの経歴と車両を紹介する。

◆尻振りフィアット
「エルドレッジのフィアットはそうではなかった。その走りは、レポーターがこれまで見てきた中で、最もひどいものだった。大きな赤いクルマは、時速150マイル近い速度で激しい尻振りを続けながら、コースの全幅を使って荒々しく計測区間に飛び込んだ(図1)。この恐ろしい走りぶりで、鈴なりの観衆は一斉に柵から飛び退いて避難した。溝を飛び越えたり樹の陰に隠れるのに忙しく、人々はエルドレッジの力走に歓声を挙げる余裕などなかった。」

図1

◆ドラージュ社
 ドラージュ社は、プジョー社で働いていたルイ・ドラージュが1905年に創業したフランスの高級車メーカーである。1908年のフランスグランプリでの優勝で発展し、乗用車の生産を続けるとともに、第一次大戦まで主要なレースで好成績を収めた。大戦中は軍用車両を生産したが、戦後、史上初の前輪にもブレーキを備える乗用車をはじめ、数々の名車を送り出すが、1953年に生産を停止している。

◆トーマとドラージュ
 ドライバーのルネ・トーマは1886年生まれのフランス人で、早くからドラージュとかかわり、1914年にはドラージュ車を持って米国に渡り、インディアナポリス500マイルレースで優勝したフランスの誇るチャンピオンである(図2)。
 速度記録に挑戦するドラージュ車は、プッシュロッド駆動で1気筒当たり2バルブのV型12気筒、排気量10688ccで350馬力のエンジンを搭載し、珍しく前輪にもブレーキを備えるマシンだった。

図2

◆エルドレッジ
一方のアーネスト・エルドレッジは1897年生まれの英国人で、第一次大戦では赤十字社で運転手を務めた。その後の経歴は明らかではないが、1921年にレースに登場し、1907年製のイソッタ-フランキーニ車で時速90マイル以上を出した。その後、その車体を延長して巨大な航空エンジンを搭載し、最初のレースで優勝してレース界にセンセーションを巻き起こしたあと、クルマを排気量10Lのフィアットに乗り替えて幾つかの好成績を残していた(図3)。

図3

今回は、対決の経過に続いてドラージュ社と二人のドライバーの経歴と車両を紹介した。
次回は、二人のドライバーの新たな対決の開幕をお伝えする。

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