交通安全コラム

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第264回 地上最高速の争い(98)―美女と野獣の戦い(1)―

前回は、ロックハートのインディー500での活躍と、挑戦する車両の詳細を解説した。
今回は、彼のブラックホークでの記録挑戦の顛末と第二の挑戦者と車両について報告する。

◆雨中の挑戦
ロックハートの記録挑戦に割り当てられた日は、ほとんど朝から雨が降り続き、強い風も吹いていた。4時直後に、ロックハートが美しい白い小さなクルマを、北向きにハリファックス川からスタートさせた時にも、依然として雨で視界は悪かった。

◆制御不能
彼は、時速203.45マイルで一方向の走行を行ったが、帰路の計測区間に入る前には、激しい雨で進路の先を見ることが困難になっていた。その時、クルマは海の方にやや向きを変えた。しかし、彼の修正が過大となってクルマは砂丘に向かった。車輪が柔らかい砂でずるずる滑って、猛烈に砂をはね上げた。すぐに逆方向にハンドルを切ったが、これも切り過ぎとなり、時速200マイルほどで制御不能に陥った。ロックハートは、クルマが大西洋に向かうのを止めることができなかった。

◆迅速な救助
白いクルマは、水面を数百メートルに亘って長いジャンプを繰り返して、比較的浅い水中に沈んだ。ロックハートは、変形したハンドルで閉じ込められ、波が彼の頭の上で砕けていた。すぐに救助員が走り寄って、ハンドルの後ろから彼を引っ張り出して(図1)、病院に急搬送した。手首と足を痛めてはいたが、幸い致命的な負傷はしていなかった。

図1

◆第二の挑戦者
ブラックホークの車体を覆っていたカウルは引き裂かれていたが、クルマはフレームが曲がっただけの損傷だった。ブラックホークは修理のために、インディアナポリスのスタッツ社の工場に送り返された。
英国の侵略に対する最初のアメリカ側の対応は失敗に終わった。英国から記録を奪い取る試みは、アメリカの第二の挑戦者、多くのレース経験のある強靭な筋肉をもった27歳のレイ・キーチに委ねられた。ペンシルバニア生まれの彼も、ロックハート同様1920年代にボードトラックレースで活躍していた。

◆36気筒1500馬力
裕福なフィラデルフィアの製造会社社長のJ. M. ホワイトが、英国からの記録の奪取を願ってスポンサーとなった。彼は、パリー・トーマスが1台のリバティー航空エンジンで時速174マイル出したのだから、それが3台なら絶対記録を奪えると考えて、1台をドライバーの前に、2台を後ろに並列に搭載したクルマを構想し、“トリプレックス”と命名した(図2)。合計36気筒、排気量81188cc、総出力1200~1500馬力の後輪駆動車を、5人のメカニックが2年がかりで造り上げた。

図2

今回は、ロックハートの記録挑戦の顛末と第二の挑戦者とその車両について報告した。
次回は、大型大馬力のトリプレックスでのキーチの記録奪取の努力と結果を紹介する。

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