交通安全コラム
第271回 地上最高速の争い(105)―悲劇の終幕―
- Date:
- 2022/12/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、シーグレイブの新記録達成の経過と彼へのインタビューの後半をお伝えした。
今回は、トリプレックスによる米国の記録奪回の努力と悲劇に終わる挫折をお伝えする。
◆メカニックによる挑戦
トリプレックス”のオーナーであるジム・ホワイトは、英国に自己の世界記録を奪われたレイ・キーチにその奪回を指示した。しかし、クルマが非常に危険であることを理由に、その要求は拒絶されたため、幾人かのドライバーと交渉したがうまくいかなかった。彼は、最後にトリプレックスのメカニックだったリー・バイブルに話を持ちかけた。バイブルは乗り気ではなかったが、説得が上手だったホワイトは、クルマをよく知っているという理由でバイブルを納得させた。バイブルは、レースコースではある程度の運転経験はあったが、最高速での運転の経験はほとんどなかった。
◆競技ライセンス不所持
バイブルは、1885年テネシー州の農場に生まれ、鉄道消防員、電話工事作業員、自動車メカニック、タクシー運転手、ダートレースのドライバーをやってきた。当時ガレージを手に入れ、メカニックとして働いていた。彼は、記録挑戦の最初の走行直前までAAA(米国自動車協会)の競技ライセンスを持っていなかった。
◆最初の走行は失敗
バイブルの最初の走行は失敗だった。巨大なエンジンにもかかわらず、トリプレックスは時速127マイルに達しただけだった。しかし、彼は3台の大きなエンジンに熱心に取り組み、間もなくかなり良い状態に調整した(図1)。1929年3月13日、天候は悪化していたが、合衆国のために成功しなければならないという重圧から解放されることを願って、彼は挑戦を決意した。

◆記録挑戦
バイブルは、徐々に速度を高めていくトリプレックスに自信を持ち始め、時速183マイルを達成し、さらに速度を上げていった。彼は、ついに、トリプレックスの持てる力のすべてを投入することを決心し、ハリファックス川から北へ向かう走行を開始した。大西洋に沿って走っている時、砂にいやらしいさざ波を作る激しい風が吹いていた。彼が計測区間の入口に近づくにつれて、観衆の期待は高まっていった。
◆バイブルの死
この走行で彼は時速202.7マイルを記録したが、次に何が起こったのかは、今でもはっきりわかっていない。砂の突起に乗り上げてクルマのコントロールを失ったのか、あるいは、あまりにも急速にスロットルを閉じたので、81ℓの3台のリバティーエンジンのブレーキ力が車輪をロックさせ、クルマがスキッドしたのか。2万人の観衆の前で、トリプレックスは、たまたま逸れた進路上で撮影していた不運な映画カメラマンをはね飛ばして死亡させ、宙返りしてクラッシュし、バイブルも即死した(図2)。

今回は、記録奪回の使命を託された合衆国の不運なリー・バイブルの悲劇をお伝えした。
次回は、英国の記録保持の努力を続けてきたマルコム・キャンベルの動向を見ていく