交通安全コラム
第273回 地上最高速の争い(107)―キャンベルの誤算(2)―
- Date:
- 2023/01/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、新コースを造り、記録奪還に挑戦したマルコム・キャンベルの挫折を報告した。
今回は、失意のキャンベルの、新英人ドライバーの採用と高出力車両開発計画を紹介する。
◆決定的な打撃
不運の失意からの気分転換のため、キャンベルはケープタウンに飛んだ。そこで、彼は、シーグレイブがデイトナで記録を破ったというニュースを耳にした。その記録が押し上げた大きな幅は、キャンベルを落胆させるものだった。その記録、時速231.44マイルは、彼のブルーバードの設計速度よりはるかに高くそびえていた。その上、ファーネーオーク塩盆は海抜760mで空気が薄いため、過給されていないネーピアエンジンは深刻な影響を受け、出力の顕著な低下をきたしていた。
◆新たな挑戦へ
それでも、彼は気を取り直して、5マイルと5キロの世界記録を打ち立て、1キロで時速217.6マイル、1マイルで時速217.52マイルの英国新記録も樹立した(図1、2)。しかし、これはシーグレイブの世界記録よりもかなり低いものだった。彼は、シーグレイブより先に英国のために記録を取り戻すという所期の目標達成に失敗した。そこで彼は、世界記録を英国に留めることを確かにする、さらに性能の優れたブルーバードを製作する計画を考え始めた。


◆目標は時速250マイル
キャンベルは失意の中でも、将来の米国との記録争いに備えて、性能を高めたブルーバードを製作する計画を考え始めていた。しかし、彼がクルマを造る前に、国内から競争者が現れた。1927年に1000馬力サンビームで獲得した世界記録が1929年にJ.S.アービングが開発したゴールデンアローによって破られたサンビーム社は、名誉を回復するため、時速250マイルを目標とする新しいクルマの開発を決断し、シルバーブレットと名付けた。
◆新しいドライバー
ドライバーには、1000馬力車で記録を達成したヘンリー・シーグレイブが既に引退していたため、アイルランド生まれのベテラン、ケイ・ドンを採用することにした(図3)。彼は、二輪レースから自動車レースに転向したブルックランズの常連で、3台のサンビーム車を所持して好成績を挙げ、1929年には時速134.24マイルのラップレコードを作っている。

◆変則50度V型エンジン
シルバーブレットは、1000馬力車と同じく、ルイス・コータレンが担当し、高出力エンジンを新開発することと、その効果を最大限に発揮させるために、軽量化と空気抵抗の低減を最優先にして設計が進められた。前面投影面積を減らすため、車体幅をケイ・ドンの肩幅とほぼ同じにまで最少化し、12気筒エンジンをこの幅に収めるため、バランスの良い60度を捨てて変則的な50度のV型を採用するほどの徹底ぶりだった。
今回は、失意のキャンベルの、新英人ドライバーの採用と高出力車両開発計画を紹介した。
次回は、新開発車両の詳細と記録挑戦の終始を報告する。