交通安全コラム

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第276回 地上最高速の争い(110)―ブルーバード号の復活(2)―

前回は、改良ブルーバードによる記録挑戦の経過をお伝えした。
今回は、記録挑戦の結果と、引き続くキャンベルの記録への快進撃をお伝えする。

◆4マイルを1分間で
計測区間の標柱が瞬く間に飛び去り、キャンベルは細心の注意で再びクルマを停止させた。オフィシャルが飛んできて、肩を強く叩いて窮屈なコックピットから彼を引っ張り出し、記録を時速14マイルも上回ったと告げた。彼は、1マイル区間では時速245.73マイル、1キロでは時速246.09マイルの世界記録を樹立し、1分間で4マイルを超える距離を走った最初の人となった。

◆凱旋パレード
 1931年、キャンベルが帰国すると、ロンドン市内の凱旋パレードが用意されていた。これは、彼の5回目の世界記録樹立を祝うもので、英国の国威発揚の功績が認められて、国王からナイトの称号が与えられた。これで、多くの人は、彼は引退するものと考えた。しかし、彼はその栄誉に安んずることなく、英国の記録を守る方策を考え始め、デイトナ市長から翌年の記録挑戦要請を受け、その目標を時速250マイルと定めた。

◆ブルーバードの総点検
クルマの準備は、今回も、前回再設計を行ったレイルトンに委ねられたが、作業は総点検と部分的な改良に限定された。エンジンは、持てる力を100%発揮させるために徹底的に整備された。外観上の違いは、空気抵抗を低減するためラジエーターがやや小型化され、先端部がさらに流線形にされたことだった。レイルトンは、「自信を持って、記録を時速8マイル高めることは可能だと言える」と記者に語っている。

◆マシンへの信頼とコースの不安
1932年2月、キャンベルはふたたびデイトナ海岸に戻ってきた。彼は、前回の記録達成で実績のあるマシンを徹底的に点検したことで、ブルーバードには絶大の信頼を置いていた。しかし、このデイトナのコースには、クルマの直進を困難にする相変わらずの強い風と砂浜の表面の波紋、不十分なコースの長さと幅、などから不安をぬぐい去ることはできなかった。

◆強い北風
初日の走行は、クルマとコースを確認するための予備走行で、時速は130マイル程度だった。24日、キャンベルは、南向きのテスト走行をしてから本番の挑戦を行うことを発表した。彼が操縦席に乗り込んだ時、北風は依然として強く時速20マイルもあった。彼が南に向かって走行する間、跳ね上げられた砂泥で悪化した視界に悩まされ、クルマの直進を保つために格闘をしなければならなかった(図)。

スライド1

今回は、記録挑戦の結果と、引き続くキャンベルの記録挑戦の飽くなき闘志をお伝えした。
次回は、引き続いての挑戦での奮闘の成果と、更なる挑戦への飽くなき熱意をお伝えする。

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