交通安全コラム
第277回 地上最高速の争い(111)―ブルーバード号の復活(3)―
- Date:
- 2023/03/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、記録挑戦の結果と、引き続くキャンベルの記録挑戦の飽くなき闘志をお伝えした。
今回は、引き続いての挑戦での奮闘の成果と、更なる挑戦への飽くなき熱意をお伝えする。
◆テストではなく本番
クルマの直進を保つために格闘をしなければならなかったが、この追い風が速度の上昇を助け、予想外の高速に達した。そこで、彼は、この走行をテストではなく、記録挑戦を試みる走行とする決断をした。しかし、帰りの北向きの走行では、速度は極端に低下した。計時員たちは、この走行は練習だ、記録挑戦ではないと言われていたので、走行が終わっても計算をしていなかった。そのため、キャンベルは速度を知るために待つあいだ、記録挑戦は失敗だったのではないかとの疑念に悩まされた。
◆世界記録の更新
風の影響が双方向の速度に顕著に表われていた。追い風では、1マイル区間で時速267.47マイル、1キロ区間で時速262.24マイルだが、向かい風では、時速241.77マイルと時速241.3マイルだった。それにもかかわらず、彼は見事世界記録を達成していた(図)。彼の平均速度は1キロで時速251.34マイル、1マイルで時速253.97マイルだった。この時の最高速、時速267.47マイルはオフィシャルと記者、観衆を驚かせた。

◆記録への熱情
25日は雨、26日は晴れたが、風はふたたび強く、砂浜にはところどころに畝ができ、ホイールスピンが時速260マイル達成を妨げた。しかし、キャンベルは5キロ、5マイル、10キロで新記録を樹立した。彼の記録への突進で示した熱情は人々の心をとらえ、3日間、約2万の人たちが何時間も立ち通しで彼の走行を観ていた。この三回目の訪問で、キャンベルは、アメリカの人々に心から受け入れられた。
◆2秒の壁
1932年のこの記録が1マイルの区間であと2秒早かったら、キャンベルは時速300マイルに到達していた。そこで彼は、何としてでもこの時速300マイルを達成しようと決心した。しかし、行く手を阻む2秒のタイムの壁を打ち破ることの困難さは、彼は誰よりもよくわかっていた。それは一度でできるものではなく、幾つかのステップが必要なことを考え、彼は、まずクルマの再構築に着手した。
◆ロールス・ロイスRエンジン
新たな目標達成のためには、エンジン出力の増強が不可欠であり、それまでの1450馬力のネーピア・ライオンに替えて2350馬力のロールス・ロイスRエンジンを採用することにした。これは1931年のシュナイダー杯レースで優勝した水上機に使われたものと同形のV型12気筒のスーパーチャージャー付き36582ccで、記録挑戦の3分程度なら2500馬力の出力発揮が可能であった。
今回は、引き続いての挑戦での奮闘の成果と、更なる挑戦への飽くなき熱意をお伝えした。
次回は、出力を大幅に増強したブルーバードでの、3年連続の記録達成の経緯を報告する。