交通安全コラム

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第278回 地上最高速の争い(112)―ブルーバード号の復活(4)―

前回は、出力を大幅に増強したブルーバードでの、3年連続の記録達成の経緯を報告した。
今回は、それに満足することなく時速300マイルを目標とする、彼の挑戦を追跡する。

◆ホイールスピン対策
ブルーバードの再設計は、今回もレイド・レイルトンに委ねられた。フレームはより頑丈に作られ、出力の大幅な増加に対応して、クラッチは大型化され、3速の変速機は新規に製作された。大きなエンジンを搭載するため、車体全長は27フィート(8.23m)に延長された。増加が予想されるホイールスピンの対策として、グリップを助けるため多量の鉛が後車軸付近に組み込まれ、重量は4.5トンに増加した。外観は前部の流線形が改善され、大規模な変更のため、ブルーバードはほとんど新車いえるものとなった(図1)。

スライド1

◆重なる悪条件
この年、1933年のデイトナ海岸は、もともと短いコースが嵐によって砂浜が浸食され、ほぼ2マイルも短なっていた。天候も悪く、最初の走行まで12日も待たなければならなかった。コースの表面は凹凸が多く、最初の走行から恐れていたホイールスピンが多発した。さらに悪いことには、キャンベルは、変速の際左の腕を捻挫してしまった。

◆挑戦決断
2月22日水曜日、夜明けには霧がかかり期待は持てなかったが、霧は次第に薄れつつあり、挑戦が決断された。使える砂浜の長さが11マイルから9マイルに短縮されたため、最初の走行結果には多大の関心が集まった。クルマが走行を開始し加速する時には、コースに沿った砂丘に5万人の観衆が列をなしていた。クルマは、キャンベルの優れた技量で完全にコントロールされ、弾丸のように視界から消えていった(図2)。

スライド2

◆記録更新
コースの端で、増強されたエンジンパワーを考慮して1928年以来の久しぶりのタイヤ交換と各部の点検が行われた。記録は時速273.556マイルだった。帰りの走行ではクルマはかなり跳ね、一瞬向きを変えたこともあったが、キャンベルは絶妙なテクニックでクルマをコースに戻し、時速270.676マイルを記録した。すぐさま平均速度が計算され、世界記録の時速272.108マイルと発表された時には、観衆は興奮して大騒ぎをした。

◆何度も死ぬかと思った
しかし、この記録達成は決して容易なものではなかった。走行後、医師がキャンベルの靱帯が痛む腕にテーピングをしなければならなかった。
彼は、劣悪のコンディションで、わずか幅40ヤード(約37m)の砂浜を、少なくとも4回は砂丘に衝突しそうになりながらジグザグに走った。「私があの記録に失望していると思うだろうが、劣悪なコンディションでの走行で命を失わずに済んだことは運がよかったと感じている。何度も死ぬかと思った。」と彼は語っている。

今回は、世界記録更新に満足せず、時速300マイルを目標とする、彼の挑戦を追跡した。
次回も引き続き、キャンベルの時速300マイルへの執念の挑戦をお伝えする。

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