交通安全コラム
第286回 地上最高速の争い(120)―好敵手対決(3)―
- Date:
- 2023/08/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、イーストンが計画した銀色に輝くモンスターの驚くべき技術内容を紹介した。
今回は、続いて、好敵手英国人ジョン・コッブの経歴と彼のクルマを紹介する。
◆6週間で組立
イーストンが計画した銀色に輝くモンスターのボデー設計はフランスの車体製造者で空気力学専門家が担当し、車両の製作は英国スタフォードシャーの工場で迅速に行われた。“サンダーボルト”と呼ばれるようになるこのイーストンの記録挑戦車は、設計段階で十分に熟成する余裕はなかった。組み立て作業は、外注した部品の納入が始まってから、わずか6週間で完了した。複雑な機械では信じられない離れ業だった。
◆アルミの巨大怪物
1937年10月に、計画からわずか7カ月で造り上げられたサンダーボルトが、ボンネビルの隣接補給基地であるウエンドーバーで開梱された時、それを見た人々は驚きのあまり口を開けたままだった、と伝えられている。それはアルミニウムの巨大怪物であった。
◆ジョン・コップ デビュー直後に優勝
1899年にブルックランズ・レーストラックに近い村で生まれたジョン・コッブは、少年時代にそこで、後に速度世界記録を打ち立てることになる何人かのヒーローの走行を見る機会があった。
その時の強い印象が、彼を自動車レースの世界に足を踏み入れさせることになる。1925年、彼は最初のレースで10Lエンジンの大きなフィアット車を巧に操り3位に入賞し、一週間後のイベントで優勝して天分のひらめきを見せた。
◆“ネーピア・レイルトン”
コッブは、毛皮売買からの収入をモータースポーツにつぎ込み、ブルックランズを拠点に好成績を挙げていった(図)。レイド・レイルトンに依頼して開発した12気筒500馬力のネーピア・ライオン航空エンジンを搭載した“ネーピア・レイルトン”車で、1933年に、彼は時速143.44マイルのブルックランズ周回記録を樹立した。この記録は、ブルックランズが第二次大戦で閉鎖されたため、現在でも保持されている。

◆信頼の証 “レイルトン”
このクルマで、彼は各地で多数の記録を遺したが、ボンネビルでも1時間と24時間の新記録を樹立した。その際、ボンネビルのコースに魅了されて世界最高速記録に挑戦する決心を固め、ふたたびレイルトンにクルマの製作を依頼した。ネーピア・レイルトンの性能が予測より良かったからである。新しいクルマを“レイルトン”と名付けたのは、コッブが如何に彼を信頼していたかを示している。
レイルトンは困難な課題を解決しなければならなかった。目標速度が上昇するため許容荷重に余裕が無いダンロップタイヤと1250馬力の古い過給機付きネーピア・ライオンⅦ D航空エンジンを使用しなければならないという制約だった。エンジンは2台入手可能だが、それでも総出力はライバル、イーストンのサンダーボルトの半分に過ぎない。レイルトンは、クルマの重量を徹底的に軽量化するとともに、空気抵抗を最小限に抑えることで課題を解決することを設計方針とした。
今回は、好敵手になる同じく英国人、ジョン・コッブの経歴と彼のクルマを紹介した。
次回は、史上3度目のライバル対決の第一ラウンド、イーストンの挑戦の経過を紹介する