交通安全コラム

交通安全コラム

第287回 地上最高速の争い(121)―好敵手対決(4)―

前回は、イーストンが計画した銀色に輝くモンスターの驚くべき技術内容を紹介した。
今回は、レイルトンの技術内容に続き、イーストンのボンネビルでの旧車による記録挑戦とサンダーボルトの試験走行を紹介する。

◆全輪駆動と空力設計
ジョン・コッブに製作を依頼されたレイルトンは、これまでのように、大出力を路面に伝えるために余分な重量で車輪の接地力を高めるという原始的な発想を否定して全輪駆動を採用した。さらに、空気抵抗を最小限におさえる効率の良い流線型の車体形状を先に決定し、シャシをその内部に押し込める作業方法を採用した。車輪を含めてすべてがカバーされ、抵抗を増やす突起は、四つの車輪、コックピットのキャノピー、エキゾーストポートとスーパーチャージャー以外は許さなかった。

◆折れ曲がったバックボーン
彼は、2台の多大な空間を必要とする大型航空エンジンを搭載するため、折れ曲がった箱断面の画期的なバックボーン・フレームを考え出し、3速ギヤボックスを付けたエンジンを傾けて搭載し、それぞれ前輪と後輪を駆動させることにした(図1)。空いたスペースにエンジン冷却用氷タンクと燃料タンクとオイルタンクなどを詰め込み、ドライバーを前輪の前に座らせた。

スライド1

◆長距離記録挑戦
一方、イーストンは1937年9月の初めにサンダーボルトの到着を待つ間に長距離記録を破ろうと、1935年に製作した“スピード・オブ・ザ・ウインド”号を携えて、早めにボンネビルに乗り込んだ。しかし、雨によるコースの水没と駆動系の故障で10月になってしまい、完成が遅れていたサンダーボルトが到着したので、長距離記録は先送りとなった。

◆クラッチトラブル
サンダーボルトのエンジンは一発で始動したが、水没したコースの水が引かず、高速走行を行うのに2週間待たねばならなかった。10月28日、イーストンは、サンダーボルトで初めてのフルスロットルでの試験走行を行い、北向きで時速309.6マイルを記録した。しかし、帰路、計測区間に入る前にクラッチトラブルが発生した。クラッチ修理の間に、彼はスピード・オブ・ザ・ウインドで時速163.68マイルの周回コース12時間世界記録を樹立した。

◆後押しスタート
11月6日、サンダーボルトはコースに戻った。イーストンは、発進時にクラッチに加わる負荷を緩和するため、乗用車でサンダーボルトを時速40~50マイルに達するまで押すことにした(図2)。この策略はうまくいき、彼は北向きの走行で時速310.685マイルを記録した。しかし、南向きの走行でクラッチトラブルが再発し、計測区間に入る前にクルマを停めなければならなかった。

スライド2

今回は、イーストンのボンネビルでの旧車の記録挑戦とサンダーボルトの走行を紹介した。
次回は、イーストンの記録達成とサンダーボルトの更なる性能向上の対策をお伝えする。

<前の画面へ戻る

Page Top

SSL GlobalSign Site Seal