交通安全コラム

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第290回 地上最高速の争い(124)―好敵手対決(7)―弁慶に挑む牛若丸―

前回は、改修したクルマで、記録を大幅に更新したイーストンの挑戦の経過をお伝えした。
今回は、出力・重量ともに半分で弁慶に挑戦した牛若丸の奮闘とその成功を紹介する。

◆初期トラブル
ボンネビルでイーストンが新記録を作った3日後の1938年8月30日に、コッブはレイルトンに慣れるために数回試走した(図1)。走路の塩の表面は良くなかったが、2回目の走行で、およそ時速325マイルに到達した。しかし、エンジンは完全には作動していなかった。最高性能を発揮するには温度が低く、海抜4218フィート(1286m)の標高での気圧の低下が一因で、気化器にも問題があった。さらなる問題は、軽量化でフライホイールとクラッチを省いたための、変速時のエンジン停止であった。

スライド1

◆飛行機から観察
コッブは、マシンの感触を確かめることを続け、9月12日、公式の記録走行を行った。イーストンは、ライバルを近くで仔細に観察するため、飛行機でコースに沿ってコッブの走行を追跡した。双方向の平均速度は、レイルトンの状態が完全ではなかったので、時速342.5マイルに止まり、打ち負かそうとしたイーストンの記録よりわずかに低かった。しかし、コッブは、今や、レイルトンに完全に慣れて余裕を持つ段階に至った。

◆2速からの発進
1938年9月15日、コッブは、再度の記録挑戦のため、大柄な彼にとってはかなりきついコックピットに乗り込んだ。クラッチがなく、エンジンは時速20マイルあたりで始動するので、トラックで後ろから押さなければならない(図2)。エンジンの停止が心配だったので、変速を1回減らすため、2速から発進した。塩の表面がコースの両端で悪く、加速に使えるコースの長さが例年より短かったので、彼は必死に全力で加速した。

スライド2

◆一方向で時速350マイル突破
彼は、すべての注意力を、クルマを黒いコース中心線に沿って走らせることに集中した。しかし、彼の眼は、猛烈な速度で通り過ぎて行く前方のポイントに、そのつど焦点を合わせ直すのに疲れ、ブレーキを踏む時には感覚が鈍って、減速の程度を決めることに困難を感じた。最初の北向きの走行速度は、1マイル区間で時速353.3マイルだった。

◆牛若丸の勝利
一体で大きいが重量はわずか200キロのボデーシェルが取り外され、タイヤ・ホイールが取り替えられて、シェルが被せられ、コッブは、既定の時間内に南への戻りの走行を開始した。帰路の1マイル区間の走行速度は、時速347.2マイルで、彼の平均速度は、1マイル区間で時速350.20マイル、1キロ区間で時速350.1マイルだった。
コッブは、イーストンが3週間前に同じコースで打ち立てた世界記録を破ったばかりか、公式記録で時速350マイルを超えた最初の人となった。

今回は、出力・重量ともに半分で弁慶に挑戦した牛若丸の奮闘とその成功を紹介した。
次回は、好敵手対決の第四ラウンド、記録を奪われたイーストンの報復をお伝えする。

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