交通安全コラム

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第292回 地上最高速の争い(126)―好敵手対決(9)―牛若丸の逆襲―

前回は、好敵手対決の第四ラウンド、記録を奪われたイーストンの報復をお伝えした。
今回は、翌年、イーストンから記録を奪い返したコッブの奮闘をお伝えする。

◆以前からのトラブル
翌1939年ボンネビルで、コッブは、イーストンの記録に挑戦をする前に試走を行った。しかし、レイルトン号には、エンジンがミスファイヤーし、変速時に停止するという前からのトラブルが発生した。その対策を行い、8月22日に記録挑戦の走行を行ったが、満足な結果は得られなかった。そこで、翌日に再度挑戦を行うことにした。

◆日陰でも100°
23日の朝、米国自動車協会(AAA)のオフィシャルと計時員は、早くから持ち場に就いた。信じられない速さで明るくなり、すぐにまぶしい夏の一日が始まった。日陰でも華氏100°(摂氏38°)を超える耐えられない暑さになるので、準備は急いで行われた。エンジン点検のためボデーシェルが外され、2基のエンジンはスタート用エンジンで始動され、暖気が行われた。

◆順調な発進
エンジンを停止し、ボデーシェルが被せられ、コッブが乗り込んだ。始動用トラックの特別なバンパー装置の押し棒がレイルトンの尾部を押して、2台のクルマはゆっくりと走り出した。間もなくコッブがスイッチを入れると、2基の変速機が音を立て、エンジンが喘いだ途端、クルマの上と下から黒煙が噴き出した。喘ぎが唸りに変わり、エンジンは生気を吹き込まれた。トラックが減速し、レイルトンは走り去った。

◆世界記録奪還
往路のタイムは9.76秒と伝えられた。これは時速370.75マイルに相当する。この調子だと記録が破れる。メカニック達は、往復走行を一時間以内で完了する規定を守るため、ボデーを外し、タイヤ交換と燃料補給の作業を迅速に完了した。レイルトンは矢のように戻って来た(図)。その轟音は、クルマが通り過ぎてから聞こえた。結果は、9.81秒で、1マイル区間の平均は時速366.97マイル。1キロ区間の記録は時速369.74マイルだった。コッブは見事記録を奪還した。

スライド1
スライド2

◆性能に余裕
設計者、レイド・レイルトンは、クルマはまだ余裕があり、控え目でも時速378マイルまでは行けると信じていた。ダンロップタイヤは、トレッドの厚さは0.02インチ(0.5mm)しかなかったが問題はなく、記録を時速11マイル高めることに貢献した。今回の挑戦では20本のタイヤが使われた。コッブは、最大の困難は変速だったが、クルマは非常に扱いやすかった、と報告している。

今回は、翌年、イーストンから記録を奪い返したコッブの奮闘をお伝えした。
次回は、第二次大戦のため挫折した、ドイツの速度記録挑戦の内幕をお伝えする。

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