交通安全コラム

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第293回 地上最高速の争い(127)―ドイツの野心と挫折

前回は、翌年、イーストンから記録を奪い返したコッブの奮闘をお伝えした。
今回は、第二次大戦のため挫折した、ドイツの速度記録挑戦の内幕をお伝えする。

◆ドイツの技術
ドイツは、第一次大戦直前、多くのレースで好成績を挙げた名車「ドイツの稲妻」と呼ばれた“ブリッツエン・ベンツ”で幾度か世界速度記録を樹立したが、以降は記録争の舞台から姿を消していた。しかし、1930年代には、グランプリレースでドイツの2大メーカー、ダイムラー・ベンツとアウトウニオンが他を寄せつけない高度の技術を競い、レースを席巻していたので、その優れた技術で世界記録へ挑戦しようとする計画が動き出した。

◆ヒットラーの野心
計画は、1933年、アドルフ・ヒトラーが首相に就任して始まったと伝えられている。彼は、優れたドイツの技術力を世界に誇示するために世界のレースに挑戦して勝利する、と宣言した。これに乗じて、ヒトラーと親しく、名声の高かったアウトウニオンのレースドライバーのハンス・シュタックが、フェルディナンド・ポルシェを設計者とし、ダイムラー・ベンツの技術で、彼の念願の世界速度記録挑戦の計画を推進した。

◆トルクコンバーター
ブリッツエン・ベンツの後継車となるT80“ブラック・バード”は、ポルシェによって、44.5L過給倒立直噴V12気筒航空エンジンのDB603を搭載して設計された。扁平な楕円断面の鋼管製のシャシの、コンチネンタルタイヤ付きディスクホイールの6輪車で、エンジンはミッドシップレイアウトで、その直前にドライバーが着座し、歯車変速を廃して初期形の油圧トルクコンバーターで後の4輪を駆動する(図1)。前後輪の輪距(トラック)は著しく狭く1.3 mである。

スライド1

◆ウイング
大きな方向安定板をなす前後輪の囲いと、その中間は空気抵抗を減らすため低くされたボデーで、シャシは完全に覆われていた(図2)。ドライバーのコックピットは完全密閉で、ラジエーターは先端の低い位置に置かれた。非常に興味深いのは、ボデー横の翼である。その上面は後輪の荷重を増加させるために傾斜がつけられているが、下面は水平で、詳細は走行結果で変更される。

スライド2

◆トラクションコントロール
T80には、それまでの速度記録挑戦で大きな障害になったホイールスピンを減らすための重要な革新技術が組み込まれたと伝えられている。それは、後輪のホイールスピンが激しくなると、ドライバーのアクセル操作に拘わらず自動装置がエンジンのスロットルを戻す、今で言うトラクションコントロールである。DB603エンジンは、さらに過給圧を上げ、高速回転化すれば、3000馬力は可能だったろう。そうなれば、空気抵抗が少なく車重が3トンを超えていないので、時速450マイルが期待できたかもしれない。

今回は、第二次大戦のため挫折した、ドイツの速度記録挑戦の内幕をお伝えした。
次回からは、挑戦の挫折と第二次大戦後に再開された記録挑戦の動向をお伝していく。

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