交通安全コラム

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第299回 地上最高速の争い(133)―乗用車エンジンでの挑戦(1)

前回は、米国人挑戦者の二番手として、世界初のジェット推進車を携えて登場した医師の失意のリタイヤーと、期待の星であるトムソンが挑戦を決意するまでの経緯を紹介した。
今回は、トムソンのチャレンジャー1の開発と記録挑戦の経過をお伝えする。

◆V8エンジン4基
トムソンは、 “チャレンジャー1”を速やかに仕上げるために1日20時間働いた。設計方針は、重量と空気抵抗の低減だった。エンジンは、合計最大出力2400馬力の4基のチューンアップした乗用車用V8だった(図1)。一組が前車軸を、一組が後車軸を駆動し、トルクのバランスを図るため一組のそれぞれが互いに逆回転する。

スライド1

◆時速362マイル
1959年8月24日からのトライアルイベントで、ボンネビルでの初走行を行い、初日に簡単に時速266マイルを記録した(図2)。2度目は時速332マイルだったが、ドラグシュート展開後に振られて700フィート横すべりした。シュートを対策し、次回、時速362マイルを記録した。トムソンは「スロットル開度はまだ半分だった」と語ったが、コッブの記録にはるかに及ばず、納得はしなかった。

スライド2

◆降り続く雨
 8月29日からの次のUSACのイベントのために、パワーの落ちたエンジンを交換して待ったが、雨が続いた。9月30日になって乾き、予報では10月6日までは好天で、以降は連続的な嵐だった。走路の表面は完全ではなかったが、トムソンは準備して待ち構えて記録に挑戦した。

◆タイヤ分解音
月曜日の走行では、時速220マイルで轍に落ち、コースを外れて引き抜いた標識の木片がアルミのボデーシェルを潰した。しかし、スロットルを緩めずにクルマをコースに戻し加速を続けた。時速340マイルで、荒い路面でクルマが跳ね上がり、アンダーパンが弛んだ。タイヤが分解するような音を聞いたので、トムソンはスロットルを緩めた。

◆アメリカ新記録
火曜日は、雲が厚く天候悪化の気配が濃厚だった。トムソンは、黒い革スーツを着て、酸素マスクを着け、チャレンジャー1のシートに座り、11時55分南向きに走行を開始した。彼の妻がステーションワゴンで後ろから押し、時速80マイルで点火スイッチを入れてクラッチを繋ぐと、4台のエンジンが始動した。ペダルを強く踏み下ろし、時速210マイルで2速に、時速315マイルで3速に変速した。彼はこの挑戦で1マイル区間のアメリカ新記録、時速363.67マイルを達成した。

今回は、トムソンの、チャレンジャー1とボンネビルでの挑戦の経過を紹介した。
次回は、アメリカ新記録達成のトムソンの挫折と、英国からの新たな挑戦者を紹介する。

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