交通安全コラム
第300回 地上最高速の争い(134)―乗用車エンジンでの挑戦(2)
- Date:
- 2024/03/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、トムソンの、チャレンジャー1とボンネビルでの挑戦の経過を紹介した。
今回は、アメリカ新記録達成のトムソンの挫折と、英国からの新たな挑戦者を紹介する。
◆酸素供給装置故障
午後は、雲は厚かったが気温は低く、走路は固く乾いて条件がよくなり理想的であった。プラグ交換などのルーチンワークを終えて、3時30分に、ふたたび、彼は南向きに走行を開始した。しかし、酸素マスクに酸素を送る管がボンベから外れ、彼は、ファイヤーウォ―ル開口部から入る排気とオイルの刺激臭の混ざった空気を吸って、上気してしまった。
◆錯乱状態
クルマの進路を保つために必死の努力をして、彼は、かろうじてドラグシュートを開いた。助け出されて意識が戻ると、彼は錯乱状態で「クルマを準備しろ、何時間無駄にしたんだ。もっとニトロを入れろ」と叫んだ。しかし、彼は抑えられ、クルマはトレーラーに載せられた。1959年は、雨がそれ以上の試みを許さなかった。トムソンは、ジョン・コッブの記録を破ることには失敗したが、チャレンジャー1はもっと速く走れることを知り、1960年にボンネビルに戻ってくることを公表した。
◆父の望み
地上の世界記録を9度破った後、水上の世界記録を3度破ったマルコム・キャンベルは、彼の引退後は、息子のドナルド・キャンベルが跡を継いで地上記録に挑戦することを望んでいた(図)。息子は、すでに水上記録を6度破っていたので、父の願を叶えて、地上の世界記録に挑戦することにした。

◆タービンエンジンの四輪駆動
息子は、彼の成功したボートの製作者ノリス兄弟と話し合い、1956年の初めに、キャンベル・ノリス号、略してC.N.7記録挑戦車の基本的な仕様を決定した。それは、大型旅客機に使われたガスタービンで4輪が駆動され、クラッチと変速ギヤがなく、前輪にはオーバーランのためのフリーホイールが組み込まれる設計であった。
◆英国産業の支援
英国の専門メーカー数十社が、技術の粋を尽くして部品を製作し彼らを支援したので、世界記録に挑戦するドナルド・キャンベルの計画は、海外で英国産業の名声を高める国家的行動となった。彼の父は、クルマの名称に幸運をもたらす“ブルーバード”を使ったが、ドナルドも、彼のクルマにこの名前を付け、父が幸運の色だと信じていたブルーの塗装も引き継いだ。
◆動力取出しシャフト追加
ブリストル・ブリタニア旅客機に使われたプロティウス705ガスタービンの正規のシャフトは前輪に動力を伝え、後輪を駆動するための動力取出しシャフトが、後部に追加された。プロティウスは、タービンが毎分11000回転以上で、およそ4250馬力を発揮する。
今回は、アメリカ新記録達成のトムソンの挫折と、英国からの新たな挑戦者を紹介した。
次回は、英国からの挑戦者を迎撃するアメリカ勢の動向をお伝えする。