交通安全コラム
第303回 地上最高速の争い(137)―あっけない終幕
- Date:
- 2024/04/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、米国勢で一人残ったミッキー・トムソンの新記録への最後の挑戦でのトラブルと、新しいブルーバードによるドナルド・キャンベルの準備の経過を報告した。
今回は、英国の記録の死守を決意したキャンベルの行く手を妨げる出来事をお伝えする。
◆猛烈な加速
キャンベルは、前面のガラスパネルに映るダイヤルで、実際の加速度を予定の値と比較しながら注意深くアクセルペダルを踏み込み、猛烈な加速を開始した。ブルーバードは、黒い油のガイドラインから次第に左にずれ始めたが、風が左から8ノット以上で吹いていたので、油の線を横切って右に動いて、比較的悪い路面で加速を続けた。彼はクルマをガイドラインに戻した。
◆空中で回転
1.7マイルをやや過ぎたところで、ブルーバードは突然左を向き、スピンして右側面を下にして転がり、跳ね上がって空中で回転した。ノーズとテールが地面に当たり、白い塩の上に青の塗料を残し、クルマは右側面を破損した。右の二つの車輪は完全にもぎ取られたが、タイヤは一本も裂けなかった(図1、2)。塩の上の破片は、コースを左に逸れた後の軌跡を物語っていた。


◆落命を免れる
事故現場に最初に到着したユタ州のパトロールは、キャンベルの頭が動いているのを見て安堵した。飛びついてキャノピーを引き剥がし、エンジンが回っていたので燃料をカットした。遅れて救急車の人たちが来てキャンベルを助け出した。病院までの途中、妻のトニアと救急車のドライバーは、彼と言葉を交わすことができた。頭蓋骨亀裂、鼓膜破損、幾つもの切り傷と打撲傷を負ったが、彼の命は、ベルトとヘルメットとブルーバードの頑強な構造によって救われた。
◆100万ポンドのポンコツ
ガスタービン・ブルーバードによるキャンベルの記録挑戦は、あっけない終幕を迎えた。彼は入院し、100万ポンドのクルマは文字通りポンコツとなった。しかし、意識を取り戻したキャンベルの最初の言葉は「次に走るのは何時になるのか?」だった。キャンベルの世界記録挑戦を支援した英国企業連合の幹部と財団主のアルフレッド・オーエン卿は、この話を伝え聞いて、彼の熱意と勇気に感動して、もう一度クルマを造ることを決断した。
◆トムソンの断念
事故の3日後の1960年9月19日、ミッキー・トムソンは、合衆国のために記録に挑戦するべくコースに戻ってきた。しかし、彼の最高速は、わずかに時速350マイルほどだった。翌日には、スーパーチャージャーの一つのドライブチエンがスリップした。その後は、路面状態が悪化してホイールスピンが激しく、彼は、挑戦を断念せざるを得なかった。
今回は、英国の記録の死守を決意したキャンベルの行く手を妨げる出来事をお伝えした。
次回は、挫折にひるまず、ふたたび、エンジンとジェット推進で時速400マイルを超えようとする二人の挑戦者の奮闘をお伝えする。