交通安全コラム
第304回 地上最高速の争い(138)―ジェット推進、制限無し
- Date:
- 2024/05/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、英国の記録の死守を決意したキャンベルの行く手を妨げる出来事をお伝えした。
今回は、挫折にひるまず、時速400マイルを超えようとする挑戦者の奮闘をお伝えする。
◆再挑戦の決意
アメリカの挑戦者たちとドナルド・キャンベルの努力にもかかわらず、ジョン・コッブの記録は破られずに維持されて、1960年のボンネビル・シーズンは終わった。
しかし、キャンベルは、ブルーバードC. N. 7が、技術的な観点からは世界記録を破る能力を持っていることを示した。そして、彼は、先輩である父、マルコム・キャンベルと同様、諦めることを拒否した。
一方のアメリカの挑戦者たちも、同様に、英国から記録を奪おうとする決心を持ち続けていた。
◆自動車の定義
「自身の手段で、互いに直列でない、常に地面と接触する最小限4輪によって走行し、最小限2輪で操舵され、最小限2輪で駆動される地上車輛」がFIA規定の自動車の定義だった。したがって、ジェットエンジン推進車両のドライバー達は、彼らが達成する速度がいかに速くとも、新しい速度記録として国際的な公認が得られないことは知っていた。
◆ジェット推進、制限無し
それでも合衆国で、英国人、ジョン・コッブの記録を打ち負かそうと、多くのジェット推進車両が作られていた。そこで、1962年のボンネビルでの国際スピードトライアルでは、南カリフォルニアタイミング協会が新しいクラス、「ジェット推進、制限無し」を導入した。
◆チャレンジャーⅠの再登場
しかし、ボンネビルに最初に現れたクルマはピストンエンジンのクルマ、ミッキー・トムソンのチャレンジャーⅠだった(図)。1960年、トムソンは一方向走行ながら時速406.60マイルを達成した。彼は、1962年の今年こそ、公認記録を得るために、双方向走行平均で時速400マイルを超えたい、と望んでいた。

◆バネのないクルマ
しかし、最初の走行で、トムソンのバネのないクルマは、不整な路面で激しく跳ね、ただ直進を保つだけでも彼の持てるすべての力を必要とした。帰りの走行では、視界を良くするためキャノピーを取り外したため、風圧が強くゴッグルをこわした。それでも、彼は時速357マイルを記録した。
◆挑戦を断念
しかし、塩湖上で豊かな経験を持ち、118の合衆国と世界記録を保持する勇敢な記録破りの男であるトムソンでも、実質的に使用できる平坦な路面が9.6マイルしかなくては、ガソリンエンジン車では、目標を達成することは不可能であるとの結論に至り、世界記録への挑戦を断念した。
今回は、ジェットクラスの導入と、ピストン車でのトムソン最後の挑戦と断念を紹介した。
次回以降は、ジェットエンジン推進車でのアメリカ勢の挑戦の模様を報告する。