交通安全コラム
第306回 地上最高速の争い(140)― 時速600マイルへの野望(1)
- Date:
- 2024/06/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、挑戦者の一人、アート・アルフォンズの経歴とクルマ造りの経過を紹介した。
今回は、彼のジェットエンジン推進車と、新たなアメリカ勢の挑戦の模様を報告する。
◆B29用24気筒エンジン
1960年の夏までに、アルフォンズは“アントイーター(蟻食い)”号を完成する。これは、世界記録を維持し続けるジョン・コッブの記録達成車“レイルトン‐スペシアル”の影響を大きく受け、似ていた。B29用の24気筒エンジンのこのクルマは、ボンネビルで時速260マイルを記録したが、ギヤトラブルでオハイオに戻った。1961年には、時速313.78マイルに到達したが、クラッチを焼損するなどなど機械的な故障が挑戦を妨げた。
◆サイクロプスを製作
1961年の冬に、彼は8000馬力のJ-47ジェットエンジンを入手し、“サイクロプス(一つ目の巨人)”を製作する(図1)。このクルマは、ドラッグレース場で行ったデモ走行で時速240マイルを超えて観衆を喜ばせた。これは立派な世界記録挑戦車だったが、彼は、さらにアフターバーナーを追加した。

◆大騒動のアフターバーナー試験
彼は、このアフターバーナーの試験を住宅街の仕事場でやった。それは、窓を吹き破り、鶏小屋を樹木の上2mも高く越えて30mも吹き飛ばすという、大騒動を巻き起こしたテストだった。仕事場はバラバラになり、部品は10m離れた庭に飛び散った。
◆オープンコックピット車の最速記録
1962年のボンネビルに登場したアートは、このアフターバーナー付ジェット推進車“サイクロプス”で、双方向平均時速330.013マイルを、一方向の最高速度、時速338.791マイルを達成した。世界記録にははるかに及ばなかったが、大きな前進だった。これは、オープンコックピット車の最速記録だった。
◆ドラッグスターのプロ
アフターバーナー付ジェット推進車での世界記録挑戦で敗退したアルフォンズに続いて、1962年のボンネビルに、ジェット推進車で現れたのは、14歳でドラッグレースを始めたカリフォルニアのクレイグ・ブリードラブである(図2)。彼は、速度の追及に余暇時間のすべてを使い、それが成功してドラッグレーサーをフルタイムの職業にしてしまった(図3)。究極の速度とそれに伴う栄冠獲得の望みを子供の時から温めていた。


◆アメリカ魂
そのために、彼は、クルマ造りとその実現に役立つ技能を着々と身に付けていった。1959年、ミッキー・トムソンのチャレンジャーⅠによる最初の素晴らしいが残念な挑戦を目撃し、計画を実行に移す時が来たことを悟り、クルマの製作に着手することを決断した。彼は、まず、世界記録を祖国に奪還することを願って、クルマの名前を“スピリット・オブ・アメリカ(アメリカ魂)”号と命名することから始めた。
今回は、アルフォンズの記録挑戦敗退と、新たなアメリカ勢、ブリードラブを紹介した。次回は、ブリードラブの時速600マイルを意識したジェットエンジンの開発を紹介