交通安全コラム

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第310回 地上最高速の争い(144)―時速600マイルへの野望(5)

前回は、スピリット・オブ・アメリカ号の製作過程の詳細と資金不足について報告した。
今回は、資金の獲得と改修した操舵系での、翌年の再挑戦までの経過をお伝えしていく。

◆説得力の成果
ブリードラブは資金不足に陥ったので、サンタモニカのシェル石油の事務所を訪れた。そこで、どんな技術的な質問にも答えることができたので、重役と技術者たちは、彼が速度記録を破る可能性に納得し、シェルはクルマを完成する資金を拠出することに合意した。グッドイヤーもタイヤとホイールを提供することになった。

◆ステアリングの問題
1962年の夏遅くなって、初めて、ブリードラブはクルマをボンネビルに運んだ。しかし、エンジンは正常に働かなかった。エンジンが正常になると、ステアリングに問題が出た。空気力学的に行われるこのステアリングでは進路の調整が困難で、横風があると時速300マイル以上では走れなかった。

◆翼のないジェット機
ブリードラブの設計陣は操舵方式を変更することにした。固定されていた前輪を、およそ0.5度左右に操舵可能とし、前部のフィンを前輪の操舵系とリンクして向きが変わるようにした。さらに、クルマの方向安定性を一層高めるため、テールフィンが加えられたので、クルマは翼のないジェット機のような外観を呈した(図)。

スライド1

◆新操舵系は有効
1963年7月28日の午後、ブリードラブとスピリット・オブ・アメリカはボンネビルに到着した。評論家も支援者も「今度はセンターラインを外れずに走れるのか」と気を揉んだが、翌日、ブリードラブがクルマをコースで走らせた結果、新しい操舵方式は有効であることが確認され、不安は解消した。 

◆ドラッグシュート不調
ブリードラブは、30日から本格的な準備走行を開始し、75%の回転数で、時速276マイルに達した。翌日には、80%の回転数で時速349.51マイルに達したが、計測区間に入る前に、ドラッグシュートが開いて、全速に到達するのを妨げた。8月4日には、時速365.93マイルに達し彼を喜ばせたが、ドラッグシュートの作動は依然として正常ではなかった。

◆期待する群衆
翌日の8月5日月曜日、ブリードラブは朝6時前にコースに到着し、テントからクルマを出した時には、まだ太陽は出ていなかった。この日は、彼は、記録挑戦は考えず、回転数を90%まで上げようと思っていた。しかし、多数の群衆が眼に入った。前日、ソルトレイク市のラジオ放送局が誤って、その日、彼が速度記録に挑戦すると報じていた。

今回は、資金の獲得と改修した操舵系での、翌年の再挑戦までの経過をお伝えした。
次回は、操舵系を改修したスピリット・オブ・アメリカでのボンネビルでのブリードラブの記録挑戦の前半をお伝えする。

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