交通安全コラム
第314回 地上最高速の争い(148)―英国人の執念―雨との戦い(1)―
- Date:
- 2024/10/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、英国人キャンベルによる、より長い新コースの探索とその候補地を紹介した。
今回は、候補地のオーストラリアへ、降雨で一年遅れたチームの現地入りを紹介する。
◆5年以上降雨なし
候補地エア湖は、全般的には平坦だが、ところどころに大きな塩の島が存在した。塩は非常に硬いので、トラクターが牽引するカッターで削り取るしか除去の方法はない。湖の中央では表層は厚いが、岸に近づくと薄くなり、下の含水層は荷重負担能力が乏しいので、クルマを搬入する際には盛り土でランプを構築する必要がある。1955年以来降雨はないが、その時は、湖全域がかなりの深さの水で満たされたとのことである。
◆アプローチの問題
直近の大都市で国際的な貨物ターミナルであるアデレードからコース候補地までは、一部は幹線道路も使えるが、長距離の踏み分け道と未開拓の林を経由しなければならない。
コース候補地から最も近い牧場までは、30マイルも離れている。アデレードと内陸のアリススプリングを結ぶ鉄道は、候補地のはるか西方を迂回している。
◆代替コースを決断
南オーストラリア州が、鉄道駅のマーリーからムルーリナ牧場までの道路整備と、湖岸近くまでの取り付け道路を造ることに同意し、キャンベルはエア湖で記録に挑戦することを決断した。1962年の初めに、追加された巨大な尾翼のために以前より醜くなったブルーバード(図1)が現地に送られる計画が決まった。

◆予想外の降雨
その準備が佳境に入りつつあった時、オーストラリアのBP支社からエア湖に豪雨があったという知らせが入った。エア湖には7年間雨が降らなかったが、水が引けるまで数カ月かかると予想される大量の降雨だったので、ブルーバードのオーストラリアへの出荷は待たされ、装備と関係者(図2)のアデレード到着は翌年の1963年の春になってしまった。

◆大部隊の到着
すべての装備品とスタッフ、ブルーバードの他に、5台のトラクターと各種アタッチメント、2台の5トントラック、タイヤテストの乗用車、燃料補給と無線装置のための数台のバンや、さらに、多数の一般作業用と記録映画撮影用のランドローバー車に加えて、レポーターやカメラマンのクルマが、マーリー駅からムルーリナ牧場に到着した。
◆ベースキャンプ
ブルーバードをトレーラーに載せて運ぼうとしたが、牽引する四輪駆動車が故障し、応援の軍隊のレッカー車で、取り付け道路の終点から5マイル先のベースキャンプに、5時間がかりで到着した。ブルーバードは、そこで、塩を固めて築き表面に鉄板を敷いて準備された斜面を下って、作業場の隣の大きなテントに収容された。燃料と潤滑油の置場も近くに作られた。
今回は、候補地のオーストラリアへ、降雨で一年遅れたチームの現地入りを紹介した。
次回は、記録挑戦を妨げる降雨との戦いを報告する。