交通安全コラム

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第319回 地上最高速の争い(153)―英国人の執念―最後の最後で宿願叶う

前回は、またもや雨で記録挑戦の延期を強いられるチームの苦悩と労苦をお伝えした。
今回は、その後のチームの奮闘と新記録達成までの経過をお伝えし、ボンネビルのジェット駆動車の動向をお伝えする。

◆コース南端に降雨
風が吹き続いたが、7月15日に横風が収まって、2回の予備走行は時速300マイルに到達することができた。しかし、降雨がありコースの南端の2マイルの路面が軟化した。キャンベルは、最後の記録挑戦に、南端の2マイルを使わず、11.8マイルの短くなったコースを使うか、横すべりの危険を冒してコース全長を使うかの決断を迫られた。

◆振動激しくも加速
7月17日、キャンベルは、金曜日のジンクスを無視して記録挑戦を決断した。待機中に増強されたエンジン出力に賭けて、コースは短い方を選んだ。7時17分、走行を開始し、計測区間に近づくと振動が極めて激しくなり、轍に落ち込んで抵抗が増したが、それでも出力を10%増加した。蛇行が始まったが、必死にハンドルを握りしめて直進を保ち、1マイル区間で時速403.1マイルを記録した。

◆ついに念願達成
8時10分、帰路の走行を開始し、再び激しい振動に見舞われたが、辛くも無事終点に到達した(図1)。キャンベルは、生きていたことを感謝したが、挑戦は失敗したと思い失望した。しかし、結果は、まったく同じ時速403.1マイルで、17年ぶりに記録を破り、不運続きの9年間の挑戦の目的を達成した。しかし、コースにはタイヤの破片が散乱し、大惨事寸前だった(図2)。

スライド1
スライド2

◆車輪駆動とジェット駆動
17年にわたり破られなかったジョン・コッブの時速394.196マイルを破ったドナルド・キャンベルの時速403.13マイルの記録は、自動車のモータースポーツを統制するFIAによって、正式に車輪駆動車の世界記録として認められた。前年の1963年にクレイグ・ブリードラブが達成したジェット駆動三輪車の時速407.44マイルの記録は、FIAからは認められず、オートバイのモータースポーツを統制するFIMによって認められていた。

◆アート兄弟の登場
しかし、速度世界記録の動向は、明らかにジェット駆動に向かっており、ブリードラブは自身の記録をさらに高めるために、1964年も“スピリット・オブ・アメリカ”を整備していた。しかし、予期しなかった2台の新しい挑戦車が姿を現した。ウォルト・アルフォンズが製作した“ウイングフット・エクスプレス”と、弟のアート・アルフォンズの製作した“グリーン・モンスター”だった。

今回は、その後のキャンベルチームの奮闘と新記録達成までの経過をお伝えし、ボンネビルのジェット駆動車の動向を紹介した。
次回からは、ボンネビルで繰り広げられたジェット駆動車の壮絶な戦いを報告していく。

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