交通安全コラム

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第320回 地上最高速の争い(154)―ジェット駆動車の壮絶な戦い(1)

前回は、その後のキャンベルチームの奮闘と新記録達成までの経過をお伝えし、ボンネビルのジェット駆動車の動向を紹介した。
今回からは、ボンネビルで繰り広げられたジェット駆動車の壮絶な戦いを報告していく。

◆ウォルト・アルフォンズ
兄のウォルトは10歳年下のアートとは異父兄弟で、二人は協力して、ドラグレースを席巻した一連の記録保持車、グリーン・モンスターを造っていた。その後、ウォルトがジェットエンジンを使うことを考えたが、アートはピストンエンジンにこだわった。そこで、ウォルトは弟と別れ、金を貯めて、ウエスティングハウス社のJ-46ジェットエンジンを1500ドルで入手した。未経験だったが、1年間の設計と製作で、世界初のジェットドラッグスターを完成させ、時速200マイルを超える速度で600回以上走った。

◆矢のイメージ
国内のドラッグレースだけでは満足できなくなったウォルトは、ボンネビルで速度記録に挑戦しようと考えた。彼は「速度記録には小さなクルマが必要だ。我々は、後ろに羽根が付き、前方に向かってテーパーになって尖っている矢を思い描いている。」と語っている。エンジニアーのトム・グリーンがウォルト・アルフォンズに協力して作り上げたクルマは、スポンサーとなったグッドイヤー社の飛行船が造られた地に因んで“ウイングフット・エクスプレス”と名づけられた。

◆コンパクトな記録挑戦車
クルマは、ウエスティング'ハウスJ-46ジェットエンジンを使用し、車体は、密閉コックピット以外ほとんど流線形化されておらず、先端はドライバーの視界を確保するため一部が透明の円錐で、太いジェット排気口の上に高いテールフィンを持ち、油空圧スプリングで支持された車軸と小径のグッドイヤータイヤを付けた車輪を持つ全長7.2m、重量18.5トンのコンパクトなクルマである(図1、2)。

スライド1
スライド2

◆4回限りの走行
1963年の春には、ボンネビルでのテスト走行の準備が完了したが、塩湖では4回の走行後、エンジンに湿った塩が入りコース上で停止してしまった。そこで、塩の吸い込みを防ぐデフレクターを付加し、同時に、操縦安定性改善のためフィンを前に移動した。その後、試行錯誤の末、シーズンの終わりまでには時速300マイルに達し、翌1964年への希望が持てるようになった。

今回は、1964年にボンネビルで繰り広げられるジェット車のバトルの最初の登場人物、ウォルト・アルフォンズと彼のウイングフット・エクスプレスを紹介した。
次回は、その記録達成と、続く弟アートの挑戦をお伝えする。

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