交通安全コラム

交通安全コラム

第321回 地上最高速の争い(155)ジェット駆動車の壮絶な戦い(2)

前回は、1964年にボンネビルで繰り広げられるジェット車のバトルの最初の登場人物、ウォルト・アルフォンズと彼のウイングフット・エクスプレスを紹介した。
今回は、それでのトム・グリーンによる記録達成と、続く弟アートの挑戦をお伝えする。

◆記録挑戦の先陣
ウォルトは心臓発作を起こして運転ができなくなり、エンジニアーのトム・グリーンがウイングフット・エクスプレスのドライバーを引き継いだ。1964年9月の終わりから10月初めにかけて、彼らはボンネビルを記録挑戦のため1週間予約した。そのあとには、弟のアート・アルフォンズが、その次には、前年にジェット駆動車のスピリット・オブ・アメリカで時速407.44マイルの新記録を達成したブリードラブが挑戦のため控えていた。

◆エンジンの脈動
早めに到着した弟のアートが、ライバルとなった兄のクルマの走行を観察していた。兄弟は、オハイオ州の作業場は数メートルしか離れておらず、長年近くに住んでいたが、1959年以来、口をきいたことがない。兄のウイングフット・エクスプレスは、走行を開始すると、エンジンの脈動が激しくクルマ全体が震え、動きがノロノロしているかと思うと、突然、パワーの急な高まりがあって突進した。

◆排気口円錐を拡大
クルマは全く制御できない状態が続き時間を浪費していった。排気口円錐の絞りすぎで、圧力が上昇して燃料がカットされてしまうのがその原因だった。それに気付き、円錐の直径を拡大したエンジンに交換したところ、出力は低下したが、燃料は連続して供給され、まともに作動するようになった。

◆アフターバーナー使用
予約の最終日である10月2日になって、チームは、やっと信頼できるエンジンを獲得した。そこで、ウォルトは、一度も試みていなかったアフターバーナーを使う決断をした。コックピットに収まったグリーンは心配だった(図1)。この31歳の独学の空気力学専門家は超高速走行の経験は乏しかった。しかし、往路は、用心深く、アフターバーナーに燃料を短く3回噴射して、時速406マイルを記録した。

スライド1

◆新記録達成
これで自信を得たグリーンは、帰路は、計測区間の1.5マイル手前でアフターバーナーのレバーを引いた。衝撃はなく、計測区間中引き続けた。メーターの指針は時速400マイル辺りで振れていたので、記録は出ないと思った(図2)。しかし、結果は時速420マイルだったので大喜びだった。彼は、「時速400マイルはスリル満点、空から落ちる感じだった」と語っている。ウイングフット・エクスプレスの平均は時速413.20マイルで、このブリードラブの記録を破る新記録は、予約の最終日の日没後に達成された。

スライド2

今回は、ウイングフット・エクスプレスでのグリーンの記録達成の経過をお伝えした。
次回は、続くウォルトの弟アートのグリーン・モンスターの登場とその挑戦の経過をお伝えする。

<前の画面へ戻る

Page Top

SSL GlobalSign Site Seal