交通安全コラム
第326回 地上最高速の争い(160)記録ラッシュ―アートの記録奪還とブリードラブの復讐(4)
- Date:
- 2025/04/01
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、ブリードラブの復路の劇的な結末と、アートの反撃開始をお伝えした。
今回は、アルフォンズの記録奪還と、ブリードラブが新しいクルマでアルフォンズへの復讐を成功させた1965年シーズンの結末をお伝えする。
'◆右後輪パンク'
計測区間出口で、速度計が時速600マイルを示した直後に右後輪がパンクした。すぐドラグシュートを展開したが引き綱が破断した。しかし、クルマのコントロールはなんとか維持できたので1マイル惰行して、非常用シュートを展開した。ブレーキ系統は破損して作動油漏れで使えず、クルマはコースの端から約半マイル手前でやっと止まった(図1)。

'◆またも新記録'
復路の走行では、1マイル区間は時速559マイル、1キロ区間は時速571マイルで、平均速度は1マイル区間で時速536.71マイル、1キロ区間で時速544.13マイルだった。アート・アルフォンズが、ふたたび新記録を樹立してブリードラブの記録を破り、長かった新記録ラッシュのボンネビルの1964年シーズンは幕を閉じた。
'◆J79で四輪車'
ブリードラブは、その設計とJ47のジェットエンジンでは、クルマはもはや戦闘能力に欠けることが分かっていたので、冬にかけて15000ボンドの推力のあるJ79駆動の新しいクルマを造った。今度は、FIAから記録認証が取れる4輪車とし、大きな尾翼のある針のような先端のコカ・コーラのビンに似た外観だった(図2)。

'◆“ソニック 1”'
車体はFRPとアルミ板で滑らかに張り込まれ、車輪は前が直径25インチ、後ろが39インチのグッドイヤー製の時速850マイルまで耐えるタイヤである。前車軸はトーションバー・スプリング付の中空パイプ、後はトーションバーの独立懸架である。名称は“スピリット・オブ・アメリカ”が引き継がれたが、“ソニック1”のサブタイトルが付けられた。
'◆今度も暴走'
1965年10月12日にブリードラブは時速510マイル台の走行をこなし、14日に時速534マイルまで速度を上げると、空気圧でノーズが凹み、アルミの表皮が波打った。19日には修理が終わり、アフターバーナーを使った走行を開始した。クルマは、時速600マイルあたりで前輪が持ち上がり、操縦不能になりコースを逸れ、昨年彼が飛び越した同じ堤防のおよそ100ヤード手前で、やっと停止した。
'◆一気呵成の記録更新'
対策として、クルマの前の翼を拡大し、取り付け角を変更する改修をソルトレイク市で行った。11月2日に戻り、記録に挑戦したが、これは一気呵成の走りであった。新しいクルマは、能力をフルに発揮してはいなかったが、1キロ区間で時速555.483マイル、1マイル区間で時速555.127マイルを記録し、やすやすとアルフォンズの記録を打ち破った。
今回は、ブリードラブの大波乱の末の新記録樹立と、アルフォンズの記録奪還を報告した。
次回は、ブリードラブの新しいクルマによるアルフォンズとの対決の経過をお伝えする。
