交通安全コラム

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第329回 地上最高速の争い(163)マッハ1を目指して―ロケット推進と英国の挑戦――

前回は、カリフォルニアからのビル・サマーズの車輪駆動車による新記録樹立を報告した。
今回は、ロケット推進の新記録の樹立と、英国のジェット推進の挑戦経過を報告する。

◆新記録樹立
計画6年目の1970年9月、“ブルーフレーム”がボンネビルに持ち込まれた。燃焼時間わずか20秒のため、トラックの後押しでスタート。ロングビーチ出身30歳のゲリー・ゲイブリッジは、10月23日、往路時速617.602マイルを記録し、LNGと過酸化水素の充填に要した48分後の復路ではさらに速く、見事、時速622.407マイルの新記録を樹立した。

◆英国からの挑戦
一方、英国では、幼い時から速度記録挑戦を夢見ていたリチャード・ノーブルが、1974年に自分で英国初のジェット推進による速度記録車を設計・製作したが、1977年、空軍基地でのテストでクラッシュして使用不能になった。しかし、スポンサーを得て、彼は“スラスト2プロジェクト”を開始した。

◆“スラスト2”
“スラスト2”と命名された挑戦車は、スペースフレームボデーに、推力16800ポンド、30000馬力相当のロールスロイス・エイボン302ジェットエンジンを搭載している。ホイールベースは250インチ、重量は4トンで四輪独立懸架、30インチ径のアルミ合金製の車輪でタイヤは使用しない。(図)。1981年と1982年に、ボンネビルでの記録挑戦に臨んだが、悪天候に妨げられ満足な走行ができなかった。

スライド1

◆時間との戦い
ノーブル達は必死で代替コースを探索し、ネバダ州のブラック・ロック砂漠を発見した。6日の内にチームは場所替えをし、隣接する地域の住民から砂漠使用の権利を得た。11月4日までに記録を時速590.551マイルまで高めたが、冬の始まりに、それ以上の挑戦を阻止された。

◆相次ぐエンジントラブル
主要スポンサーからは、翌1983年9月30日に活動を停止する、と声明が発表された。英国チームは、スポンサーからの支援のタイムリミットが迫る1983年は、5月から活動を開始し15マイルのコースを準備したが、雪解けが遅く、浸水があり、走行は8月まで待たされた。“スラスト2”は、4回目の走行で時速600マイルを超えたが、エンジントラブルが記録の向上を妨げ、その対策に時間を取られた。

◆逆転の発想
1983年10月になりスラスト2の再挑戦の準備が整った。それまでは、高出力が得られる気温の低い早朝に走行していたのを、音速が高くなり大きな抵抗となる衝撃波の発生が遅れる高温時に走るという新しい発想で、4日、気温華氏73度の無風の条件で記録に挑戦した。狙いが見事的中し、時速633.468マイルで1964年以来、英国が記録を奪還した。

今回は、ロケット推進の新記録の樹立と、英国のジェット推進の記録奪還を報告した。
次回は最終回で、新しい“スラストSSC”での成功の快挙で、この連載を締め括る。

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