交通安全コラム

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自動車誕生前史(13)―大気圧内燃式エンジン―

前回は、赤旗法時代の、米国での蒸気車の動向と、フランスでの蒸気車事情を解説した。今回は、蒸気機関隆盛の陰での、大気圧内燃式エンジンの出現を紹介する。

◆内燃式エンジンの実用化
内燃式エンジンのアイデアが、赤旗法時代になって蒸気機関の機構を借用し、当時の先進技術である電気を利用して、やっと実用的なエンジンにたどり着いた。その結果、1865年頃には、フランス全土で300台から400台の0.5馬力から3馬力程度のエンジンが、据付動力として活躍するようになった。このエンジンについては、あらためて詳しく紹介するとして、ここで内燃式エンジン開発の歴史に少し触れてみよう。

◆内燃式エンジンのアイデア
燃焼を利用して動力を取り出そうとするアイデアは、すでにレオナルド・ダ・ビンチが記録に残し、オランダの数学者・物理学者・天文学者で、土星の輪の解明、振り子時計の発明、光の波動説などで有名なホイヘンスも、1680年に発表している。これは、シリンダー内で火薬を燃焼させて、空気を加熱・膨張させて逆止め弁から追い出し、シリンダーの冷却にともなう真空でピストンを押し下げ、動力に利用しようとする大気圧機関である。

◆ブラウンの大気圧ガスエンジン
この大気圧利用のアイデアは、ニューコメンによって蒸気機関に先取りされてしまった。
燃焼のエネルギーを動力として取り出すエンジンを、初めて実用化したのは、英国人サミュエル・ブラウンで、蒸気乗合自動車全盛期の1820年代であった。しかし、それは初期の蒸気エンジンと同様、燃焼ガスを冷却してその真空を利用する大気圧機関であった。3個の大きなタンク内で、順次にガスを燃焼させたあと、冷水を注入してタンクを真空にし、それぞれのタンクの真空を順番に使ってピストンを動かす仕掛けである(図)。

サミュエル・ブラウンの大気圧ガス機関

◆好成績を挙げた大気圧ガスエンジン
1825年に、このエンジンはクルマに載せられ約6度の勾配の坂を登り、1827年には船に使われて、テイムズ川での試運転で好成績を上げたと伝えられている。しかし、彼の会社は間もなく解散している。原因はエンジン自体にはなく、ガスの供給に問題があったものと考えられている。
蒸気機関が完成度を高めた18世紀末から、英国で内燃式エンジンの特許が散見するようになり、燃焼時の圧力上昇を直接動力として取り出すアイデアは、1794年の特許に見られる。

今回は、赤旗法時代に、大気圧機関の内燃式エンジンが実用化された経緯を紹介した。
次回は、黎明期の内燃式エンジンの詳細と、その進化を見ていこう。

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