交通安全コラム

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世界初の自動車レース(1)―102台のエントリー―

前回は、ダイムラーのエンジン技術と、馬車の部品を使わない初めての自動車を紹介した。
今回は、世界初の自動車レースの提案とその経過を報告する。

◆独・英でなく仏
世界初の自動車レースが開催されたのは、自動車に偏見を持つドイツや英国ではなく、フランスだった。フランスでは、蒸気自動車の普及が進んでいたこと、ナポレオンの政策でパリを中心にして道路網が発達していたことや、新しいものに対する人々の寛容な態度もあり、自動車にとって好ましい環境が整備されていた。

◆自動車の信頼性評価
当時、蒸気自動車はすでに実用されており(図1)、電気自動車も使われていた(図2)。しかし、これらの乗物の最大の問題は、故障しやすく信頼性に欠けることだった。そこに、あらたにガソリン自動車が参入したことから、それらの信頼性を比べてみようと考える人が現れた。

1891年にパリの街を走る蒸気三輪車
1893年から1906年までパリで製造されたジャントーの電気自動車

◆応募は1台
それは、ガソリン自動車誕生翌年の1887年のことで、フランスの新聞“ル・ベロシペド(自転車)”紙が提案した、パリからベルサイユまでの短距離を走行する企画だった。しかし、応募したのが1台だけだったので、この企ては実現しなかった。

◆賞金5000フラン
1894年になって、新聞“プチ・ジャーナル”紙が、再度同様な企画を発表した。内容は、自動車を安全に、最も費用をかけずに走らせたドライバーとメカニックに5000フランの賞金を与えるもので、レースというよりも紳士的な行事になるよう、途中でクルマを止めて昼食をとることも想定されていた。

◆パリ―ルアン
それは、パリからセーヌ川を下ったルアンまでの126キロの信頼性試験走行である。パリ―ルアンのルートは、二つの町を結ぶ初めての自転車レースが1869年に行われて以来使われており、道路条件が整い距離的にも適当なので、その先例にならって選ばれたものと考えられる。

◆102台のエントリー
このときは、102台のエントリーがあったが、奇妙なものも含まれていた。蒸気自動車、電気自動車は理解できるが、ガス自動車、圧縮空気自動車、水力自動車、電気・空気圧自動車といった、字面だけでは原理・構造が理解できないクルマもあり、当時の人々の発想の多様性には驚くばかりである。結局、出走が許されたのは21台、そのうち蒸気自動車は8台で、それ以外はガソリン自動車だったと推定される。このイベントは7月22日に行われた。

今回は、フランスで開催される世界初の自動車レースの企画と応募状況を説明した。
次回は、世界初の自動車レースの経過と結末を報告する。

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