交通安全コラム
地上最高速の争い(1)―二人の挑戦者―
- Date:
- 2017/02/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、公道レースの隆盛とその規制、ルノー社の創業のエピソードを紹介した。
今回は、初の地上最高速を競い合うことになる、二人の先駆者の対決の伏線をお話する。
◆ヒルクライムでの電気自動車の優勝
フランス自動車誌の編集長が企画したヒルクライムが、1898年11月27日パリ近郊の、1/12の上り勾配の1.8キロ区間で行われた。参加は47台で、ベルギー人発明家で、後にレースドライバーとして成果を挙げるカミユ・ジェナツィー(図1)が電気自動車を操縦して優勝した(図2)。
◆もう一台の電気自動車
2位、3位はガソリン車だったが、電動車がもう一台参加していた。それは、パリで造られたジャントー車で、黎明期のレースドライバーの一人であるガストン・ド・シャスルー・ローバ伯爵(図3)が操縦していた。彼のクルマは、駆動チエンが滑って、勝利は実現しなかったが、これが史上初の地上最高速バトルの伏線となった。
◆初の地上最高速イベント
1週間後、自動車誌は、12月18日にスピードイベントの開催を発表した。実は、これは、編集長と懇意の伯爵の要請による企画であった。会場はパリの北にある公園の中の平坦な直線路だった。ここは、密かにクルマを試す、当時の自動車マニアお気に入りの場所だった。
◆ジェナツィーの肩透かし
伯爵は、電気自動車でジェナツィーと果し合いをするという、自ら画策して作った機会に、勇んで一番でエントリーした。しかし、ジェナツィーはベルギーに帰っていて現れなかったので、思惑は外れて、ガソリン車だけを相手にするはめになった。
◆ガソリン車の敗退
予告から期間が短かったにもかかわらず、参加多数で、観衆も数百人集まった。伯爵のジャントー車は、原型のままの角型で、ドライバーは高い位置にあるシートの右に座る。36馬力のモーターが後輪をチエンによって駆動しており、電池のために重さは1400キロもあった。しかし、開発途上のガソリン車はダッシュが遅く、ジャントー車のモーターが低速で大きな推進力を出したので、簡単に打ち負かされた。
◆地上最高速
競技は、スタート1キロ地点と2キロ地点の通過時刻を記録する。始の区間は、停止からの発進なので「スタンディングスタート・キロ」、ほぼ最高速で区間に入る次の1キロは「フライングスタート・キロ」と呼ばれる。地上最高速は、このフライングスタート・キロの所要時間で競われる。
今回は、初の地上最高速の記録を競う、二人の先駆者の対決への伏線を紹介した。
次回は、この二人の対決の前哨戦を紹介する。