交通安全コラム
地上最高速の争い(2)―赤鬼の決闘状―
- Date:
- 2017/02/28
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、初の地上最高速を競い合うことになる、二人の先駆者の対決の伏線をお話した。
今回は、この二人の対決の前哨戦を紹介する。
◆初の公認記録
にわか雨が降ったが、走行開始時には路面には影響が残っていなかった。ガストン・ド・シャスルー・ローバ伯爵のクルマは低いうなり音を出すだけで、青い閃光とわずかなオゾンの匂いを残して走り去り、見世物としてはつまらないものだった(図1)。しかし、フライングスタート・キロのタイムは、57秒で時速39.24マイル(63.1キロ)であった。
◆自転車の記録にあと1秒
これは世界記録として公認された。ボレのガソリンエンジンの三輪車が時速35.5マイル、同じくボレの3リッター車が時速33.6マイルだった。しかし、この伯爵の世界記録も、当時の自転車の最高記録には、まだ1秒及ばなかった。
◆会社倒産の危機
発明家で、自ら電気自動車会社の操業を始めたばかりのジェナツィーは、伯爵がフランス製の電気自動車でスピード記録をうち立てたと報じている新聞を、腹を立てて放り出した。自動車業界事情に詳しい彼は、一番速いブランドの電気自動車が売れることをよく知っており、ライバルメーカーのフランス製のクルマが、彼の会社を破滅させるかもしれない、と危機感を募らせた。
◆赤鬼の決闘状
ジェナツィーは赤い鬚をはやしていたので、“赤鬼”というあだ名で呼ばれていた。この赤鬼は、伯爵から速度記録を奪い取り、彼の電気自動車ジェナツィー号をベストセラーにすることを心に誓った(図2)。さらに、誇り高いベルギー人として、「これからは、モータースポーツの世界を、フランス人が思うままにできないことを教えてやろう」と決心した。そして、「一か月以内に伯爵の記録を打ち負かす」という内容の決闘状を送りつけた。歴史上初となる地上最高速をめぐる対決の始まりである。
◆受けて立つ伯爵
伯爵は、フランス自動車クラブの創設者の一人でもある兄の公爵と、当時パリの自動車コミュニティーを取り仕切っていた裕福な二人の貴族から資金の援助を受けていた。そんな事情で、伯爵にとっては、挑戦に対してフランス人に何ができるかをベルギー人に見せる用意は十分だった。
このベルギーの発明家とフランスの伯爵の決闘は、来るべく数か月間、当時のモータースポーツの世界で注目の的となるのである。
今回は、地上最高速の記録を競うことになる、二人の先駆者の対決の前哨戦を紹介した。
次回は、いよいよ、その一連の記録争いの開幕を紹介しよう。