交通安全コラム
地上最高速の争い(6)―ジャントーとそのクルマ―
- Date:
- 2017/04/28
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、時速100キロの壁を破った電気自動車による速度記録争奪戦の終幕を報告した。
今回は、そこで使用されたクルマの、製作者と技術的な内容などを解説しよう。
◆ジャントーの電気自動車
フランス人伯爵がベルギー人、カミユ・ジェナツィーとの一連の記録争奪バトルを行った際に使用したクルマは、当時フランスで実用化されていたジャントーの電気自動車だった。そのクルマの詳細はよくわかっていない。記録挑戦前半と後半のクルマは、外観と電池・モーター以外はほとんど変更がなく、同一の車体が使われたようである(図1)。
◆ジャントー
このクルマの製作者、シャルル・ジャントーは、パリの馬車製造業者で、1881年には早くも電気自動車を製作して、当時パリのタクシーとして使われていた。そのため営業政策上伯爵を支援したものと考えられる。その後、ガソリンエンジン車も製造したが、1906年に自動車の製造を止めている。しかし、ジャントーの名前は、今でも、自動車の舵取り装置の記述に出てくることがある。
◆ターンテーブル式
自動車の舵取りには、最初は馬車のように、前輪を、車軸の中央に設けたピボットで、左右に転向させていた(図2)。これは「ターンテーブル式」と呼ばれる。しかし、これでは車輪が大きく動くので、床下の空間を広く空けるために、床が高くなるという設計上の制約があることと、旋回時に前輪の左右の踏ん張りが小さくなって、転倒しやすくなるという問題があった。
◆アッカーマン・ステアリング
それを改善するために、ピボットを車輪の近くの車軸の両端に設け、左右の車輪を別々に転向させる形式が使われるようになり、これは1817年に英国で特許を取得した人物の名前にちなんで、「アッカーマン・ステアリング」と呼ばれた。しかし、初めは、左右の車輪の切れ角が同じだった(図3)。曲がる際、内側の車輪の旋回半径は外側より小さいので、内側の車輪は角度が不足し、外側の車輪は角度が大き過ぎて、左右の車輪で喧嘩がおきていた。
◆アッカーマン・ジャントー式
ジャントーはこれに気づき、彼のクルマで、左右の車輪の切れ角に差をつけて、現在のような喧嘩のない舵取り装置にした(図4)。現在の形式は、正しくは「アッカーマン・ジャントー式」と呼ばれなければならないが、ジャントーの名前は略されしまうことが多い。
今回は、伯爵が使用したジャントー車とジャントーの業績を紹介した。
次回も、ジャントー車の続きと、ジェナツィーのクルマについて解説する。