交通安全コラム

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地上最高速の争い(9)―ジェナツィーの奇怪な死―

前回は、電気を動力源として互いに速度記録を争った車両と、それぞれの製作者について紹介し、ベルギー人の発明家カミユ・ジェナツィーの勝因を考察した。
今回は、そのヒーローであるジェナツィーの後日談と、彼の奇怪な最期についての雑誌の記事を紹介する。

◆ゴードン・ベネット・トロフィーレース優勝
ジェナツィーは、記録達成後も、長距離レースに参加するなど、ドライバーとしての活動も続けた。彼は、ベルギーでタイヤの商いもしており、ドイツのダイムラー社と取引があった。その関係から、1903年の廃業後は、ダイムラー車を操縦して多くのレースに出るようになった。米国の新聞ニューヨーク・ヘラルドのオーナー、百万長者のゴードン・ベネットのトロフィーを争う、アイルランドで開催された国際レースで優勝し(図)、翌年も同レースで2位になっている。

ゴードン・ベネット杯のアイルランドのレースで優勝したジェナツィー

◆腕の良い狩猟家
ジェナツィーは、優れたドライバーであると同時に、腕の良い狩猟家でもあった。ベルギーのアルデンヌの森に狩猟のための別荘を持ち、時々友人を招待していた。彼は冗談も得意で、友人をあれやこれやで担いでいた。これが彼の不幸な死につながった。
1913年の或る時、客を別荘に招待したが、数日間獲物がなく、その夜はパーティーと深酒で気分を紛らわしていた。夜明けが近くなった時、ジェナツィーが、夜明けまでに獲物が見つかるかどうかで、ワインを一箱賭けようと言い出した。2時間以内に銃声が聞こえれば彼の勝ちとするものだった。

◆いのししの唸り声
パーティーを終りにして、各自は銃を手に部屋に戻った。誰も、ジェナツィーが建物からこっそり抜け出したことには気付かなった。眠りについて30分後、大きな唸り声で目を覚まされた客は、イノシシの出現に間違いないと思った。窓を開けると、草地のはずれに動くものが見えたので、窓から銃で撃った。
獲物を確かめに走り出した狩猟家たちが見たものは、恐ろしいことに、草むらに横たわって動かなくなっているジェナツィーだった。すでに息絶えていた。彼は賭けに勝つために、危険を忘れてイノシシの真似をしたため、自らの冗談の犠牲者となってしまった。

今回は、その後のジェナツィーのレースと事業での活動と、10年程後に、自ら演出した奇妙な出来事で命を落とした、そのエピソードを雑誌の記事から紹介した。
次回からは、速度記録の定義を確認したあと、ジェナツィー以降、現在までの速度記録の推移をたどってみよう。

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