交通安全コラム
地上最高速の争い(15)―蒸気自動車と結婚した男(4)―
- Date:
- 2017/12/15
- Author:
- 佐野彰一(元東京電機大学教授)
前回は、セルポレの蒸気自動車の改良と栄誉の受賞を報告した。
今回は、彼のレースでの成功で追い込まれての偉大な勝利を紹介する。
◆はじめての成功
1901年、ニースの“英国海岸”の遊歩道で行われたロスチャイルド男爵杯スピードイベントで、彼は、男爵の親友の最新のメルセデス車と競うことになった。そのドライバーが、先に1キロ区間を非常に速い41.8秒で走ったため、誰も対抗できるとは考えられなかった。セルポレの蒸気車の加速は、静かなヒューという音で頼りなかったが、区間タイムを35.8秒と大幅に短縮した。続いて走ったガソリン車は、どれもこのタイムを短縮することができず、結局、男爵杯はセルポレのものとなってしまった。
◆ガソリン車の殺到
この記録は、ジェナッイーの電気自動車の記録には及ばなかったが、彼は、原動機が異なることを理由に新記録であると主張した。それは認められなかったが、彼は、来年には電気自動車より速くすることができると豪語し、冬の間、すべてを新しくしたクルマの開発に専念した。しかし、予定の長距離レースが中止となり、名声が得られる競技で唯一残っているロスチャイルド男爵杯スピードイベントに、ガソリン車が殺到することになった。
◆追い込まれた立場
イベントの1週間前には、アメリカの百万長者ウイリアム・バンダービルト・ジュニアが40馬力のメルセデス車(図1)で、電気自動車とまったく同じ記録を出したというニュースに、人々は「ガソリンがついに電気を捕らえた」と熱狂し、イベントへの期待が高まっていた。セルポレは、蒸気が、電気とガソリンの両方を打ち負かすことができるか不安になった。時速120キロ出せると豪語してきた彼は、今や、強力な競争相手に、それを証明しなければならない立場に追い込まれた。
◆イースターの卵
1902年4月13日のニースの海岸の遊歩道では、勝利を確信したガソリン車のドライバー達は、のちに“イースターの卵”と呼ばれる、おかしな格好の彼の最新の蒸気車(図2)がスタート地点に運ばれるのを見て嘲笑った。この卵は、すばやく静かに遊歩道を加速し視界から消えていった。戻ってきたセルポレの顔は白く引きつっていたが、電気自動車の記録を時速10マイル近くも高める75.06マイル(120.77キロ)の世界記録を達成したことを教えられた。これは、蒸気車の偉大な勝利の瞬間だった。
今回は、レースでの初めての成功と追い込まれての偉大な勝利を紹介した。
次回は、このイベントの詳細とガソリン車の執念の努力を見ていく。